群馬は第二の故郷。どんな形であっても誇りを持って頑張りたい。

群馬クレインサンダーズ
佐藤 文哉

B2優勝が決またファイナル第3戦後に、応援してくれたブースターにあいさつする佐藤文哉(右から2人目/2021年5月24日、太田市運動公園市民体育館)

「平岡富士貴ヘッドコーチの下でプレーしたい」と群馬クレインサンダーズに移籍し、4シーズンにわたってチームの躍進に貢献してきた佐藤文哉が2020-21シーズン限りでチームを去った。5月29日に行われたファン感謝祭の始まる前に、今季、味わった苦しい胸の内や、それでも前を向き続けたことを語ってくれた。
取材/EIKAN GUNMA編集部

――目標だったB2優勝、B1昇格を成し遂げた今、どんな気持ちですか。

佐藤 シーズンが始まる前から、会社としてもチームとしてもそういう目標を掲げていましたし、その目標を達成できたので素直にうれしいというのが一つ。そしてもう一つはホッとしたという気持ちですね。

――ホッとしたというのはなぜ?

佐藤 すごくいい選手が集まってきた中で、周りからも「これだけの選手が集まれば優勝するだろう」と言われていましたから、前評判がよかった中で優勝できたことにホッとしました。

――クラブは、B1昇格、B2優勝だけでなく、秋田が以前達成した6敗以内を抜く5敗以内という「前人未踏」というスローガンを掲げましたが、シーズン中はそれがストレスにはなりませんでしたか。

佐藤 僕はそこまでプレーに絡めていなかったので、プレッシャーはなかったですね。試合に出ている選手たちには少なからずプレッシャーはあったと思います。今季に関しては見えないストレスもたくさんあったのかなあ。平岡さん(平岡富士貴ヘッドコーチ)、選手、スタッフみんながストレスを抱えながら、目標を達成したシーズンだったのかなと思います。

――前人未踏という高い目標があったからこそ、チームは成長できたのではないですか。

佐藤 そういう高いハードルを設定されていたおかげで、みんなそれぞれが達成しようとして、危機感を持ってチームとして戦えていたので、厳しいスローガンではありましたけど、それがあったおかげで、チームとしてやってこられたのかなと思いますね。

4月21日のアースフレンズ東京Z戦で、相手の激しいプレッシャーをかいくぐりシュートを決める佐藤(太田市運動公園市民体育館)

――今季は、佐藤さんにとってはどんなシーズンだったのでしょうか。

佐藤 一言で言うと、不完全燃焼。これまでと違い、今季はプレータイムがなかなかもらえなかったのでチームに貢献できず、非常に悔しい思いもしました。その中で、自分としては、当然のことかもしれないですが、腐らずチャンスが来るまで我慢して練習をしていました。我慢強くやってこられたのは、人間として成長できた部分なのかなと思っています。

――チームでの役割も、途中からコートに立って3ポイントシュートを打つといったように、例年以上に外からのシュートを求められていたように思います。

佐藤 ただ、自分としては、そこまで3ポイントシュートを意識していたわけじゃないんです。シーズンの終盤は、試合に出たら自分の持ち味をしっかり生かして思い切りプレーしようと思っていました。それが結果に表れたので、思い切りやってよかったなと思います。
 ただシーズン前半は、全然シュートが決まらなくて焦りも出て、シーズン終盤まではなかなかシュートを決められませんでしたが、我慢強くやってきたこそ終盤に結果が出せたので、自分としては少し報われたかなと思います。

――前半はシュートがなかなか決まらなかった中で、中盤からだんだんとシュートが決まるようになってきました。どのように修正したのでしょうか。

佐藤 明らかに変わったなと自分でも思うのは、シーズンの途中からワラさん(アシスタントコーチの藤原隆充)に練習を見てもらってからです。構えるところだったり、シュートを打ち切るといった基本に戻って、もう一回、自分のシュートを見つめ直してやれたのは、ぼくにとってはすごく大きかったと思います。

――藤原さんもかつてはサンダーズでプレーしていたので、チームメートとしてすごく心配をしていたんじゃないですか。

佐藤 ワラさんが選手のときからよくしてもらっていたので、アシスタントコーチという立場になっても選手のときと変わらず、常に気にしてくれたのでありがたかったです。

――シュートを打つときに違和感があったのですか。

佐藤 シーズン最初の頃は、シュートを打っても自分でも全然しっくりこなくて、とりあえず打たなきゃと思って打っても、本当に入る気がしなかったんです。構え方だったり、気持ちの問題だったり、打ち切るというところが足りなかったと、改めて振り返るとそう思いますね。

――やはりシュートが決まらなくなったのは、活躍をしないとプレータイムをもらえないという焦りからなのでしょうか。

佐藤 「結果を出さなきゃ次はない」と思いながらプレーしていたので、メンタルの部分が大きかったと思います。

――シューズ中盤から、地元のチームであり古巣でもある仙台89ERSとの対戦のときは、高確率でシュートが決まっていましたね。

佐藤 仙台での試合のときは、いろんな知り合いが見に来てくれましたし、言い方は悪いですが「出された身」なので、彼らに頑張っている姿を見せたいという気持ちは、今シーズンだけじゃなく、サンダーズに来てからの4シーズン、ずっとありました。

――特に、4月25日の仙台戦は、3ポイントシュートを5本中11本決めるなど、積極的なプレーを見せました。

佐藤 そのときは、(17分34秒と)プレータイムを長くもらえたので、シュートを打った本数も多かったんですけど、少しは結果を残せたのかなと思いました。

――改めて3ポイントシュートに自信を持てたのではないですか。

佐藤 本当に、徐々に良くなってきたので、自分としても自信を取り戻して、思い切って3ポイントシュートを打つことができました。今シーズンに関しては、今後につながるシーズンになったのかなと自分では思っています。

4月17日の越谷アルファーズ戦前にシュート練習をする佐藤。左は田原隆徳(太田市運動公園市民体育館)

――毎シーズンの目標が、前シーズン成績を超えることでした。それが、このシーズンは難しかったですね。

佐藤 そうですね。スタッツなど目に見える部分での目標達成はできなかったですが、違う部分で成長できたので、苦しいシーズンではありましたが、それを経験することができてよかったのかなと思います。

――サンダーズでの4年間を振り返ってください。

佐藤 仙台で4年間、サンダーズで4年間プレーしてきました。サンダーズでは準優勝(2018-19シーズン)と優勝を経験できたので、仙台にいたときよりもいい時間を過ごせたと思っています。本当に、サンダーズに来てよかった。4年間暮らした土地ですので、群馬に愛着はありますし、僕にとっては第二の故郷。今後、どんな形であっても誇りを持って頑張っていきたいと思います。

群馬クレインサンダーズで4シーズンにわたりプレーし、2018-19、2019-20シーズンはキャプテンとしてチームをまとめるなど、クラブのB1昇格に力を尽くした佐藤が2020-21シーズンを最後にチームを離れた。小淵雅に続き、また一人、群馬の顔であった選手がチームを去ることに寂しさを感じる。佐藤の今後の活躍を応援したい。

<了>

■profile
佐藤 文哉(さとう・ふみや)
1990年7月4日生まれ、宮城県出身、身長170㎏・体重80㎏、八本松スポーツ少年団ミニバス~郡山中学校~明成高校~仙台大学~仙台89ERS。2017-18シーズンに群馬クレインサンダーズに移籍した。仙台大学2年のときから3年連続でベスト5と3ポイント王を獲得するなどシュート力に定評。サンダーズが準優勝した2018-19シーズンは、60試合中28試合をスタメン出場し、出場時間は1202分55秒、3ポイントシュートの成功率は36.1%(346本)だった。2020-21シーズンは、53試合中スタメンでの出場はなかったものの、出場時間462分36秒と限られた時間の中でも3ポイントシュートを34.3%(58本)決め、シューターとして能力の高さを見せてくれた。