このまんまじゃ、終われない。

群馬クレインサンダーズ→横浜ビー・コルセアーズ
古牧 昌也

B1昇格、B2優勝を果たした群馬クレインサンダーズだが、キャプテンとしてチームをまとめた古牧昌也がチームを去った。千葉ジェッツの練習生としてキャリアをスタートさせた古牧は、人より努力することで選手として成長を続けてきた。昨季は、ケガの影響などもありパフォーマンスが上がらずに試合の出場時間も減っていったが、悔しい思いを胸に秘め、勝利のためにベンチからチームを鼓舞し続けた。
古牧は今季、同じB1に所属する横浜ビー・コルセアーズへ移籍。昨季の悔しい思いをバネにプロ選手として飛躍をしてくれるに違いない。

*このインタビューは、昨シーズンが終わった5月29日のファン感謝祭の日に取材したものです。

取材/星野志保

B2優勝を決め、島田慎二チェアマンから優勝トロフィーを手渡される古牧昌也(2021年5月24日、太田市運動公園市民体育館)

平岡さんのバスケットを
チームに浸透させたかった

――B1昇格、B2優勝、おめでとうございます。レギュラーシーズン5敗以内という前人未踏の目標も達成しました。今季、実力者揃いのチームをまとめるのは大変だったと思います。

古牧 多くに人にそう言ってもらえるんですけど、本当に個人のことを考える暇なんかないシーズンでした。コート上でチームの力になりたいとずっと思っていましたが、なかなか実現できなくて、個人的には苦しいシーズンでした。それでも、(B1昇格、B2 優勝という)僕とチームの目標が一緒だったので、最後にそれを達成できたので胸を張りたいと思います。

――シーズンが始まる前に、マイケル・パーカー選手をはじめ新加入選手がすべてB1経験者と聞いて、正直、どう思いましたか。

古牧 想像以上の補強だったので、かなり驚いたというのが率直な感想です。

――想像以上の選手が集まった中で、キャプテンとして大変だったところは?

古牧 新しく来た選手がたくさんいる中で、今までのサンダーズの良いところをうまく伝えることに苦労しました。

――具体的には?

古牧 平岡さん(平岡富士貴ヘッドコーチ)の色を何とかチームに浸透させたいという思いでずっとやっていました。僕は、平岡さんのバスケットが好きでしたから、ある程度チームのルールを知ってもらいたいなと思っていました。

――新しい選手たちとのコミュニケーションはどう図っていったのですか。

古牧 「こういう時はどうなの」と聞かれることが多かったので、それに応えること。あとは、一人ひとりとコミュニケーションの仕方を変えて、「ここは今コミュニケーションを取った方がいいな」と考えながら、ひたすらそれを繰り返していました。

――マイケル・パーカー選手とは、千葉ジェットで一緒に過ごしていましたが、サンダーズに来てからの変化はありましたか。

古牧 レジェンドと言われるような選手ですが、千葉にいた時よりサンダーズの方が、今年は勝ちたいんだな、偉業を達成したいんだなというのを、彼の言動や練習態度、全体練習後の個人練習などを見ていて強く感じました。

――パーカー選手につられるように他の選手も練習に励んでいたのですか。

古牧 そういった切磋琢磨のようなものはあまりなかったかもしれません。一人ひとりに課題があって、皆、それに取り組んでいたというほうが近いかもしれません。いい意味で、周りに流されず、自分の必要なものを各々で積み重ねていったような感覚でしたね。
 コロナウイルスの影響で、食事にも誘いにくかったですが、決してチームワークが悪かったわけではありません。絶対に言えるのが、B1昇格をいう目標があったから、チームとしてまとまれたというのが一番しっくりきます。それがすべてだと思っていました。

――会社から「レギュラーシーズン5敗以内」と言われたときは、率直にどう思いましたか。

古牧 イメージできなかったですね。本当にできるのかというか……、あまり考えないようにしていました。僕の中では、目の前の試合を全力で戦うというのが心の中にあったので、シーズンが終わった時に、その目標通りになったらいいよねとは思っていました。

――シーズン後半に、コロナウイルスに感染した選手が出て、試合はもちろん練習さえもできない状況に陥りながら、それでもチームは5敗しかできないという目標を達成しました。本当に達成した時はどんな思いだったのですか。

古牧 本当に、ほっとしたというのがしっくりきますね。「よかった」みたいな。「いいシーズンだったな」「キャプテンをやってよかったな」というのは、シーズンが終わった時に味わえるものだと思っていたので、それを感じられたのはとてもよかったですね。

――サンダーズの、しかもクラブの新たな歴史を築いたシーズンにキャプテンを務めあげたことは、古牧選手にとっても財産になりますね。

古牧 財産にもなりますし、でも、このままじゃ終わりたくないですね。個人的には思ったように試合に出られず悔しい経験もしたので、それを今後、どう生かしていくのかがもっと大事になると思っています。「いい経験をしたね」で終わっているんじゃ、僕もプロの世界で生きていけないですし、この経験を次にどう生かすのかをもっと考えながらやっていきたいですね。

2021年2 月5日のバンビシャス奈良戦でチームの連勝記録更新に貢献した古牧(ヤマト市民体育館前橋)

結果が出なかったら僕のせい。
僕がチームを引っ張ったなんて1ミリも思ってない

――2020-21シーズンは、シーズン最初はスタメンで試合に出ていましたが、徐々に出場機会が少なくなり、終盤は試合に出られない苦しい状況が続きました。古牧選手にとってどんなシーズンだったのでしょう。

古牧 出場できないというのはサンダーズに来て3年間の中で初めてでした。ただ、シーズン最初の頃からアキレス腱や膝を痛めていたので、僕がキャプテンに決まったときに、「骨が折れてもやりたい」という気持ちだったので、僕が試合から外れる状態にはしたくなかった。チームのトレーナーに無理を言って試合に出させてもらっていました。
 長い時間、試合に出られないのは苦しかったですし、それでもチームのためにキャプテンとして発言しなければならなかったので、つらいときは平岡さんや吉田さん(吉田真太郎GM)が「なんで僕をキャプテンにしたのだろう」と考えながら、気持ちを腐らせずに、いつ試合に出てもいいようにコート内はもちろんコート外でも準備だけは万全にしていました。結局、後半は思うように試合には出られませんでしたが、こうした努力を続けてきたことは、無駄にはならないと思っています。

――ケガをしていたのは、知りませんでした。

古牧 シーズン最初にケガをしてから、ずっと痛みがありました。それがシーズン中盤から後半にかけて、屈伸ができないくらいひどい状況になっていました。

――それがあってのプレータイムの少なさだったのでは?

古牧 そんなことはないと思います。平岡さんは必要だと思えばコートに出すし、必要じゃなければ出さないですから。常に、平岡さんはチームのベストを考えて、選手を選んでいたので、僕が試合に出られないからと気を使うこともないですし、僕もそういう平岡さんを信頼していましたから。選手起用については、何一つ思うところはないです。試合に出られなかったのは単に自分の実力不足だと思っています。

――今も膝やアキレス腱に痛みはあるのですか。

古牧 はい。オフの期間に次にシーズンに向けて治療をする予定です。

――先ほど、いつ試合に出てもいいように準備をしていたと言っていましたが、何か特別なことをしていたのですか。

古牧 特別なことというか、試合に出ている人より練習でパフォーマンスを上げなきゃいけない部分もたくさんありますし、一番は、練習のときから試合と同じ準備をしようと思って、常に全力で練習に取り組んできました。試合に出ていないからと暗い顔をしたりするのは絶対によくないと思って、つらい気持ちは見せないようにしていました。

――試合に出られない時、ベンチから大きな声を出して懸命にコートにいるチームメートを鼓舞していた姿は心を打たれました。

古牧 僕の中のいいチームの特徴は、他の選手の得点を喜べること。誰がシュートを決めてもサンダーズの得点なので、それを喜べるのはチームワークとしては素晴らしいと思っているんです。自分が点を取れないから気持ちを腐らせるのは簡単ですけど、僕みたいな人がいてもいいのかなと思っています。

――そうは言っても、やはり、試合に出られない悔しさは相当なものだったとお察しします。

古牧 試合から家に帰るときの車の中で、「マジ、本当に悔しい」って思いました。

――そういえば東地区優勝を決めた4月11日の福島ファイヤーボンズ戦で試合に出られなかった時に、「悔しかった」と口にされていました。

古牧 チームが優勝したのに、自分が試合に出られないのが不思議というか、あまりこの事実を考えたくなかった。でも、チームメートの前では悔しい顔はできないですし、優勝が
決まってうれしくもあり、何だか複雑な気持ちでした。
 ただ、過去にとらわれず、成功しても失敗しても次に何をすればいいのかを考えながらやっているので、一瞬、気持ちがマイナスになり掛けましたけど、自分がチームにできることはまだまだあると思うようにしていました。

――苦しいときに誰かに相談したりしていたのですか。

古牧 笠井(康平)ですね。同じ年だし、「こうだよね。こうしたらいいよね」というチームの状況について笠井とはよく話をしていました。彼も名古屋ダイヤモンドドルフィンズから移籍してきて本格的に試合に出始めたシーズンでしたし、プレータイムも長くなったので、体力的にも精神的にもかなりきつかったんじゃないかな。そういう状況だったので、あまり相談はしないようにはしていましたけど、僕にとっては彼の存在は大きかったですね。
 それから、小淵(雅)さん(2020-21シーズン限りで現役を引退)にも話を聞いてもらったりしました。「こうしたらチームとしてよくなると思うんですが、どうですか」という話をしたりして、何とか、チームのためになりたいと思っていました。

――自分のことだけじゃなく、キャプテンとしてチームのことも考えなければならない立場でしたね。

古牧 だからこそ、B1昇格、B2優勝できて、本当にうれしかった。これで結果が出なかったら僕のせいだと思っていましたから。でも「僕がチームを引っ張りました」とは1ミリも思っていません。ただ、いつも「このチームの先頭に立ちたいな」とは思っていました。

不器用なんだから人の何倍も練習して
器用な人より上に行けばいい

――プロになって、相当、努力をしたと聞いています。

古牧 僕は練習生からスタートした身なので。平岡さんから言ってもらった、「お前は不器用でいい。器用になる必要はない。不器用なんだから人の何倍も練習して、器用な人より上に行けばいいよ」という言葉が僕の中では大事になっています。だからたくさん練習するし、たくさん練習すれば、簡単に技術を身につけられた人より、深くバスケットを習得できるんじゃないかなと信じています。

――それは、いつ頃、平岡さんが言った言葉ですか。

古牧 僕がサンダーズに加入して2年目のときですね。自主練習のときに、「本当に不器用だよね」っていうところから始まって、「でもそれでいいんだよ」って平岡さんに言ってもらいました。練習しても身につかないと不安になることが多くて、「なんで、こんなにやっても身につかないんだろう」って悩んでいたんですが、平岡さんの言葉に、「あ、自分は不器用なんだからもっと練習すればいいんだ」って気が楽になりました。
 本当に、苦しいことばかりでしたし、プロになって感じた良いことはほぼ頭に浮かんできません。でもこうしてサンダーズがB1昇格、B2優勝できたことは、100%のうち1%のうれしいこと。その1%のうれしいことのために、僕はバスケットボール選手をしているのだと思います。苦しいことはたくさんありますが、たまに活躍してチームを勝利に導くといった、ごくわずかな喜びのために頑張れます。これは18年も現役を続けてきた藤原さん(藤原隆充アシスタントコーチ)も言っていた言葉で、「苦労しなければ手の届かないことがたくさんあるんだな」と、気づかせてくれました。

――苦しいシーズンでしたが、このチームでキャプテンを経験したことは、古牧選手にとって財産になるのではないですか。

古牧 そうだと思います。シーズンが始まる前から、「バスケット人生の中で一番重要なシーズンになる」って自分に言い聞かせていたんです。もしかしたら、その気持ちが強すぎてしまったのかもしれません。だから上手くいかなかったのかなあと思ったりもします。ただ、自分が発言したことや選択したことに、何一つ後悔はしていないです。まだまだ成長しなければいけないと思わせてくれたので、チームには感謝しかないですね。

――高く飛ぶためには、一回沈み込んでジャンプしますが、古牧選手にとって必要な苦労だったのですね。

古牧 そういうふうに思いたいなと思います。「このままじゃ、終わらない」という気持ちが強いので、次のシーズンが始まるまで間に少しでも成長できるように、ケガを治し、万全な状態で練習したいと思います。

――古牧選手はどんな選手に成長したいと思っていますか。

古牧 コート上で活躍する。あとはディフェンスの部分では誰にも負けない。ナンバーワンになりたい! 体を鍛えて、もっともっとディフェンスに磨きをかけたいと思います。

<了>

レギュラーシーズン最後の試合となった青森ワッツ戦で93-66と大勝(2021年4月28日、太田市運動公園市民体育館)

■プロフィール
古牧昌也(こまき・まさや)
1993年6月19生まれ、千葉県出身。市立船橋高校から日本大学を経て2016年に千葉ジェッツの練習生となる。その後アースフレンズ東京Zで1シーズンを過ごした後、2018-19シーズンからサンダーズに加入し、主力選手としてチームの勝利に貢献。昨季は、出場機会こそ少なかったが、キャプテンとして常勝集団をまとめ上げ、チームのB1昇格、B2優勝をけん引した。今季から横浜ビー・コルセアーズに移籍した。186㎝・85㎏、ポジションはシューティングガード