利根商の内田湘大、広島から2位指名。会見の様子を全公開

2022年10月20日に行われたドラフト会議で、利根商の内田湘大が広島東洋カープから2位指名を受けた。学校内に設けられた会見場では、大勢の記者やカメラマンと一緒に内田の家族も大型スクリーンに映し出されたドラフト会議の中継を見ていたが、内田の名前が呼ばれた瞬間、これまで緊張した面持ちだった両親の顔がホッとした表情に変わり、笑顔を見せた。また上位指名に、会場から驚きと共に喜びの声が上がった。
校長室で双子の兄の耀晴と一緒にドラフト会議の放送を見ていた内田は、指名された直後に加邉一芳校長、福田治男監督、市場洋光部長と共に会見場に現れ、内田は両親と握手を交わした後に着席し、記者会見が行われた。会見後は、チームメイトが待つ体育館で仲間や家族と共に記念撮影が行われた。
ここでは、会見の全文を紹介する。

■加邉一芳校長あいさつ

 本校野球部の内田湘大君が広島東洋カープから2位指名を受けました。まずは本人とご家族にお祝いを申し上げたいと思います。本当におめでとうございます。内田君をここまでご指導していただいた野球部の福田監督、野球部の関係者の皆さまには心より感謝申し上げます。
 内田君について私の方からお話をさせていただければと思います。私は4月1日から本校に赴任いたしまして、8日に入学式・始業式があって、16日土曜日から春季関東高校野球大会県予選の応援に行き始めました。当時、まだ野球部の情報を知らない中で、4番バッターで一塁でよく声を出している選手という印象で(内田君を)見ていたわけです。試合が進むにすれ、4番バッターとしてではなく、チームのムードメイカーとして盛り上げている。例えば守備の時、ファーストから本当に良く声を出してくれました。チーム全体の声掛けをしたり。守備をしていてアウトを取ると、ボールを回すじゃないですか。そのボールを回すときに内田君から最後にピッチャーに球を返すんですけど、非常に強いボールを毎回返すんですね。ピッチャーが取れないんじゃないのかなというくらい、会場でも「ウォー」という声が上がるような返球をするんですけど、しっかりやれとか、打たせろ、後は後ろに任せろと、そんなことをボールに込めて返していたのかなと、そういう叱咤激励のある返球をしているなと感じていました。学校の生活を見ていても、言葉ではなく行動で示すことのできる人間です。野球についてはもちろんですけど、何事についても明るく前向きに取り組んでくれています。
 プロ野球の世界でもさらに上を目指し、努力を重ねて日本を代表するような選手になってくれることを大いに期待したいと思います。ぜひ頑張ってください。

以下、質疑応答

Q 広島に指名された率直な気持ち。

内田 まず一安心しているのと、ここまで支えてきてくれた親とか監督だったりとか、やっと恩返しができたなと。夢が一つ叶ったというのはあるんですが、ここからがスタートだという気持ちでしっかり気を引き締めて頑張っていきたいです。

Q 2位という順位について。

内田 こんな上位で呼んでもらえて素直に嬉しい気持ちでいっぱいです。

Q 広島カープの印象を聞かせてください。

内田 地域に愛されていて活気のあるいいチームだなと思っています。

Q 2023シーズンから監督を務める新井貴浩さんの印象について。

内田 元気があって、笑顔が素敵な人だなという印象を持っています。

Q 二刀流として注目されているが。

内田 二刀流で勝負したいという気持ちはあるんですが、球団から「こっちでお願い」と言われたら、そっちで割り切って、しっかりと頑張っていきたいと思っています。

Q プロで対戦したい選手は?

内田 対戦したいバッターは、球界を代表するソフトバンクの柳田悠岐選手に勝負を挑んでみたいなと思います。ピッチャーだったら、自分の好きなソフトバンクの千賀滉大投手と対戦してみたいなと思います。

Q 目標とする選手は? 

内田 鈴木誠也選手(広島→シカゴ・カブス)はずっと目標にしてきた選手なので、鈴木選手を引き続き目標にして頑張っていきたいと思います。

Q ご両親に最初に報告したいと言っていたが、ここでしていただけますか?

内田 広島に呼んでもらえました。ここまで支えていただいて、本当にありがとうございました。これからはもっと遠い所へ行って、これまでの経験を生かして、自立して、これからはもっと上のレベルで活躍していきたいと思います。ありがとうございます。

Q どんな選手になりたいですか。

内田 野球の前に人間として、しっかりとした周りからも信頼されるような人になって、人間的にも技術的にもしっかりして、日本を代表するような選手になりたいです。

Q 具体的な数字、将来獲りたいタイトルなど。

内田 目標としている選手は鈴木誠也選手なので、鈴木選手の持っている記録を全部塗り替えたいと思います。

Q 福田監督に質問。これまで数々のプロ野球選手を輩出してきたが、監督の目から見た内田選手について。

福田 身体能力は、過去、僕の教え子でプロに行った子たちよりもそれ以上のものを持っているのかなと。頑張ってくれると思います。

Q 長野県佐久市から(群馬の)利根商業に来たが、高校生活を振り返って、一番伸びた部分は?

内田 技術ももちろんなんですけど、まずは人間的な面というか、身体的な面ですごい成長できたかなと思います。

Q 一番のアピールポイントは?

内田 まずは野球が大好きなところ。元気を出すところが自分の強みというか、良いところなのかなと思います。

Q 福田監督に。ピッチャーとバッターの両方の練習は難しいと思うが、意識して指導されてきたことは?

福田 非常に打つ方も投げるほうも才能を持った子だと思いました。利根商の野球のレベルも含めて、僕から見てこの子にピッチャーとしてもバッターとしても両方活躍してもらいたいと、内田が1年の時から考えていたんですけど、最後ようやく…。本人が一番努力したと思うので、投げる方も打つ方も思い切って起用できるように、本人の努力で成長してもらったということで、僕の方もこういう選手と野球ができて感謝しています。

Q 投手としてバッターとして具体的な目標は?

内田 投手としては高校で149キロだったので、プロでは160キロを目標にして頑張っていきたいと思います。打者としては…、どれくらいがいいのかわからないですが、鈴木誠也選手が残した記録は超したいなと思います。

Q ピッチャーとしての目標の160キロというのはなぜか?

内田 150キロ、155キロとかあると思うんですけど、最近は150㌔が普通になってきて、160キロを超えてから速いという感じになってきているので、目標は大きくしていかないとダメだと思うので、160キロを掲げました。

Q 高校進学した時の身長、体重は?

内田 中学校卒業する時は178㎝、78㎏ぐらい。

Q 現在、183㎝、88㎏とかなり体が大きくなったが、そのために努力したことは?

内田 まず体を鍛えるというところで食生活を大切にしていました。寮に入っているので、寮のご飯をバランスよく提供してもらう中で、その中で残したりとか、食べなかったりしたら、それはバランスよく摂取していることにはならないので、先ずは残さないで食べるということと、プラスアルファで、ご飯を食べた後に夜食を食べたりして、そのプラスアルファで体を大きくしていきました。

Q 入学時に監督から心のコントロールを言われていたが、エピソードがあれば。

内田 ある日の練習試合で投げさせてもらったとき、心のコントロールが上手くいかなかったんです。上手くいかない自分に苛立ったりだとか、何をしていいかわからない状態で、連続でファーボールだとか、ヒットを打たれたりとかで、1回に大量失点して交代して、ブルペンで涙を流したときに、監督が高校生活の中で一番怒っていただいたというか、指導をしていただいたんです。その時に「これじゃだめだな。心をもっとしっかりしていかないといけないな」と思って、それが一番印象的ですね。

福田監督 今、内田が話したことについては僕も今思い出しました。ブルペンでいい球を投げられるんですね。でも試合が始まってバッターが立ったときにストライクが入らなくなると。ブルペンでいい球を投げて、バッターが立ったときにストライクが入らなくなるというのは、技術的なものではないのかなと。野球はチームプレーですから、ストライクが入らないと野手も守りようがない。無駄な四死球はチームプレーに反すると。打たれてもいいからストライクを投げろと。そういうような中でもまだまだ投げられないのは、メンタルな部分が強いんじゃないかなと。彼の場合、中学時代にあまりピッチャー経験がない。多分、投げてもストライクが入らなかったと思うんです。そういった部分も含めて厳しく指導したことを思い出しました。ただブルペンで大体のところに投げる力があるということは、経験を積むこと(が必要だと思いました)。長いイニングで点数をたくさん取られてというよりも短いイニングでとにかく自信をつけていくことという中で、ちょっとずつゲーム経験を積みながら、視野を広げながら、野球ができるようになることにつながっていったのかなと思います。これもやっぱり本人の努力ですよね。そう感じます。
 あと性格的な部分でいうと、入学して第一印象は元気のある選手だなと。さっき(アピールポイントにも)出ていた「野球が大好きだ」と。試合も練習も手抜きをしない。全力で取り組んでいく。全力プレーですよね。入学当初からプロ野球を目指してというのを強く思っていたと思うんです。そういった意味で向上心。その日の練習や試合で出た結果を反省しながら、自分の野球の能力を蓄えていった結果がこのような形になったんじゃないのかなと思います。

Q 利根商で野球をやろうと思った理由と、この3年間で得たものは?

内田 利根商に来た理由というのは、中学校の時にあまりうまくなくて結果も残せない中で、誘ってくれる高校もなかったですし、自分からどこかへ行こうと思った時に、福田監督が(練習を)見に来てくださって、欲しいということで。全国制覇している監督なので、この監督に教わってみたいという気持ちで(利根商に)入ったのと、自分のピッチャーとしての素質を見抜いてくれた恩師の緒形徹さんが利根商にいるということで、恩返しがしたいということで利根商に入りました。
 3年間で得たものは、バカになってというか、死ぬ気でやるというか。中学校時代にプロになることをあきらめかけた時期もあったんですが。自分はプロには行けないとあきらめる人も多いと思うんですが、一回バカな考え方をして、「絶対になれる」という考え方をして、そういう感じで追ってみて。
 母から言われた言葉なんですけど、「死ぬ気でやってみろ、死ないから」ということで、3年間死ぬ気でやってきて、本当に(プロに)なれたので、バカになることはいいことなのかなと3年間でわかりました。

Q 鈴木誠也選手のプレイスタイルを目標にしているのか、それとも数字なのか。

内田 全部です。やっぱり鈴木誠也選手は野球になれば真剣なまなざしで、オフになるとバラエティ感があるというか。野球以外でも注目されているという面で、すごくいい選手だなと思ったので。

Q 校長の挨拶の中でピッチャーに返す球のエピソードがあったが、どういう思いでピッチャーに投げていたのか。

内田 一つアウトを取って、ピッチャーはホッとするというか。まだ試合は終わっていないぞと。ピッチャーに返球ができなくなったときは試合終了なので、自分が返球しているときは試合が続行しているので、気を緩めることなく引き締めていってほしいなと。やっぱりピッチャーの状態とかもあるので、その時の状態によって褒めたりとか、逆に強い言葉で言ってみたりとか、いろんなそういう気持ちで返していました。

Q これまでの野球人生を振り返って。

内田 まず小学校のときはケガが多くて、なかなかうまくいかなかったというのがあって、中学校のときも上手い具合に野球ができなくて、中学校の時もケガとかもあったりしたんですけど、なかなか試合に出ることもできず上手くいかなくて、チーム内でも競争して負けたりして、後輩に(ポジションを)奪われたりして悔しい思いがあって。けど、その悔しさを知っていたから、高校でそれを糧として成長できたという野球人生だったので、この悔しさを忘れずに、糧にして成長できたというのを忘れずに、これからの野球人生に生かしていきたいと思います。

Q プロに入ってさらに磨きたい能力は?

内田 まだ粗削りな部分はあるので、心技体の全部を磨いていきたいです。まだまだプロ野球選手と言うには甘いような選手なので、これから磨いて全部を一流にしていきたいと思います。

Q 先ほど、健大高崎の清水叶人君が広島に4位指名された。群馬バッテリーも実現しそうだが。

内田 叶人は友達で、昨日、一昨日ぐらいも「一緒になれたらいいね」と話していて、本当に一緒になるとは思わなかったです。中学校から叶人を見ていますし、練習ですけど(バッテリーを)組んだこともあるので、プロに行って2人で(バッテリーを組んで)投げることが、今、少し目標になっています。広島に行くということで少し不安はあったんですけど、叶人がいれば大丈夫かな。叶人もいいところがあるので、一緒に頑張っていきたいと思います。

Q 小さい頃から一緒に野球をやってきた双子のお兄さんはどんな存在?

内田 自分は小・中と兄の背中を追ってやってきたので、いつも上にいる存在で、いいライバルというか…。野球を離れれば頼りがいがある兄でした。これから初めて違う道を歩むんですけど、これからは独りで頑張っていきたいと思います。

Q ずっと応援してくれていてプロになるのを見届けることなくなった祖父に何と報告したいか。

内田 「なったぞ!」と。二人の祖父に(伝えたい)。一人(父方の祖父)は亡くなる1カ月前に会える機会があったんですけど、その時に話せる状態で、「絶対プロになるからね」って約束して、その1カ月後に自分たちが寮にいるときに亡くなってしまったんですが、最後はビデオ通話で看取れたんです。もう一人の方(母方の祖父)も、亡くなる前に家に帰ったときには、もう何を言っているんだかわからない状態だったんですけど。二人とも(プロ選手になることを)応援してくれていたので、「本当になったぞ」というか、ようやく恩返しができたという感じですね。

Q 一緒にやってきたチームメイトにどんな思いがあるか。

内田 ここまで自分を成長させてくれたのは自分だけの努力じゃないので、仲間が支えてくれたり、切磋琢磨できた仲間がいたからこそ今の自分があると思うので、やっぱり仲間には「ありがとう」と感謝を伝えたいですね。

<了>

■プロフィール

内田湘大(うちだ・しょうだい)

2004年9月22日生まれ、長野県出身。小学校時代はKKベースボールクラブに所属。中学で隣県の群馬にある群馬西毛ボーイズに入団。そこで利根商の緒形徹コーチに才能を見出され、兄・耀晴と共に利根沼田学校組合率利根商業高校に進学。1999年に桐生第一高校を全国大会優勝に導いた名将・福田治男監督の下で、心技体のすべてを磨く。明るく正義感が強く、リーダーシップもあり、年齢問わず慕われる性格。高校1年からベンチ入りし、主に一塁手として活躍。高校生離れした体格と思い切りのよいスイングから放たれるホームランは、飛距離・打球速と共に抜きん出る。高校通算本塁打36本を記録。今夏は、16打数8安打7打点(ホームラン2本)で活躍。さらに投手としては今夏に最速149キロを計測。スライダー、カーブ、フォークなどの変化球にキレがあり、三振の取れる選手。今夏は、投打共に活躍し、チームをベスト4に導いた。183㎝・88㎏、握力左右60㎏、50m走6.3秒、遠投120m、右投右打。

関連記事

群馬の高校野球 探求心と思考力① 内田湘大(利根商3年・投手/一塁手) – EIKAN-GUNMA (eikangunma.com)