群馬の高校野球2023 明和県央高校編①

創部から40年で手にした2度の準優勝。関東大会で戦った経験がチームの財産になる

初戦となる高崎工業戦前日の練習に集中して取り組む明和県央の選手たち(2023年7月14日、明和県央グラウンド)

7月8日から始まった第105回全国高等学校野球選手権大会記念群馬大会が同月27日に閉幕し、8月6日から甲子園で始まる全国大会に群馬代表として出場する前橋商業を除き、3年生は高校野球から引退した。県予選を前に、桐生第一、前橋育英、健大高崎、樹徳、前橋商業、高商大附、太田、そして明和県央の8チームを取材。「群馬の高校野球2023夏」として、これまで取材した7チームを本サイトで取り上げたが、最後に明和県央の躍進を紹介したい。

取材/星野志保(Eikan Gunma編集部)

 明和県央は、筆者の家から2番目に近い高校だ。取材で訪れるたびに、塩原元気監督がチームや選手たちの魅力を語ってくれる。今年6月に2年ぶりに明和県央を訪れた時は、エースで4番のチームの中心選手の須藤奨太選手が練習から外れていたが、その理由を塩原監督がエースとして心の成長を促すためだと教えてくれただけでなく、須藤選手本人からもが、心の葛藤を聞くことができた。練習から外れて気持ちの整理もつかない中でも、取材のために寮から監督室に来てくれて、筆者を気遣いながら丁寧に自分の気持ちを真摯に語ってくれた須藤選手には感謝しかない。さらに、須藤選手とバッテリーを組む生方公英選手や個性的な選手たちをまとめるキャプテンの野寺日翔選手からも仲間を思いやる姿勢が感じられ、率直に「いいチームだな」と思った。

全国レベルの強豪校の強さを肌で実感

 今年の3年生の代では、新チームになったばかりの昨秋の大会で、野球部の最高成績だった2017年夏のベスト4を超える準優勝を成し遂げ、関東大会に出場した。「組み合わせが良かったからだ」との声も聞こえて選手たちは悔しい思いをしたが、今春の大会でも立て続けに準優勝し、再び関東大会への出場を決めた。

 秋の関東大会で、専大松戸(千葉1位)と対戦し0-7と大差で敗れたものの、春の関東大会では甲府工業(山梨1位)を6-3で破り初戦を突破。エースの須藤が5回までを3失点で抑え、続く2年の小路颯人が4回を無失点無安打の好投を見せただけでなく、キャッチャーで5番の生方公英が5打数4安打2打点の活躍を見せた。続く準々決勝の常総学院戦(茨城1位)では、甲子園出場の常連校である相手にわずか2安打に抑えられて0-7と大敗したが、逆に選手たちの野球に取り組む意識を変えるきっかけとなった。
 塩原監督も、「選手たちは、常総学院や大阪桐蔭といったネームバリューのあるチームを知ってはいますが、その強さを肌で感じたことはありませんでした。関東大会で常総学院と対戦できたことは、どれだけ頑張らないと全国の強豪チームに勝てないのかを選手たちが実感できたと思います。これは彼らの財産になると思います」と語り、そして、こう言葉を継いだ。
 「秋の大会では、最後まで試合をやることが初めてだったので、関東大会を目指すというよりも、目の前の試合に勝つことだけで終わっていたような感じでしたが、春の大会でも準優勝して関東大会へ出場できたのは、秋の経験を生かして選手たちが力を発揮したからだと思います」
 1983年4月に学校が創立されたのと同時に、野球部も創部された。それから約40年。県で準優勝するまでにチームは力をつけた。塩原監督も「本当に、一歩ずつ前に進めているのかなと思います」と手応えを口にしている。

環境面の充実を図る

 2020年に校舎前のグラウンドを野球部が専用で使えるようになったことも明和県央野球部の強化の一因になった。エースの須藤も、明和県央を選んだ理由の一つに、施設面の充実を挙げていた。
 ラグビー練習場ができるまでは、全国大会出場の常連チームであるラグビー部とグラウンドを共有していたため、グラウンドを広く使った練習はラグビー部と時間を調整しながら行っていた。2020年2月末に学校の敷地の南側に第二運動場を造成し、ラグビー練習場ができたことで、いつでも自由に野球部がグラウンドを使えるようになった。
 2022年には寮も完成。片道約1時間45分かけて安中市から自転車で通学していた須藤も、2年になると完成したばかりの寮に入った。往復3時間以上かかっていた通学の負担がなくなり、その分、野球の練習に集中したり、勉強や休養に時間を充てたりすることができるようになった。
 学校側が施設面の充実に取り組んだことで、野球部も県大会で3回戦まで勝ち進む回数が多くなっている。昨秋と今春の県大会で共に準優勝できたのも、こうした施設面の影響も大きい。

 明和県央は、2019年から日本大学と教育交流を開始し、学部説明会や進路相談会、出前授業などを行ってきたが、2021年には日本大学文理学部と教育連携協定を締結し、さらに緊密な協力関係を築いている。生徒の進路でも、日本大学へ進学する生徒が増え、教育交流を開始した19年度の日大合格者は6人だったが、20年度は22人、21年度は30人、22年度は38人と、年々合格者の数が増加している。
 日本大学野球部には明和県央から入った煤田啓太選手(4年・投手)がいる。日本大学野球部が所属する東京六大学野球連盟に加盟するチームには、限られた選手しか入部できないのが現状。それも全国の強豪高校出身者が多い。日本大学と協力関係を築いたことで、「六大学でプレーしたい」と目標を持つ子どもたちが明和県央でプレーしたいと思うかもしれない。明和県央野球部の中でも、「大学でも野球をやりたいという子が増えてきているのは事実かもしれない」と塩原監督は実感している。もちろん、明和県央の野球部に入ったからと言って、簡単に日本大学野球部に入れるわけではないが、六大学で野球をしたいと夢を持つ選手たちにとってのは進路の選択肢の一つとなろう。
 ちなみに、日本大学野球部には、煤田のほか、昨夏に群馬を制した樹徳のエース・亀井颯久選手(1年・投手)、前橋育英のエースだった生方碧莞(1年・投手)、3年前の夏の注目選手の一人だった樹徳出身の大関空我(3年・外野手)がいる。

生き生きとした選手たちの姿が印象的

 夏に向け、チームの総合力強化に取り組んだ明和県央。「チームで勝ちたいんです。試合ではミスも起こるし、上手くいかない時も出てきます。それを誰かが補っていけるチームにしたいんです」。こう塩原監督は語っていたが、秋と春の2回連続で関東大会に出場し、強豪チームの強さを選手一人ひとりが肌で感じられたことは、明和県央野球部にとって財産となろう。

 残念ながら夏は3回戦で高崎商業に2-3で惜敗したが、「この代は、自分自身で成長しようと思う力がすごくある」と塩原監督が褒めたように、朝7時から選手たちが自分たちで自主的に集まって授業が始まる前までの間、練習に励んで力をつけていた。
 その姿勢は今後も後輩たちに受け継がれていくだろう。今夏にベンチ入りした選手の約半分は2年生。新チームすでに指導しており、彼らの活躍に今後も注目したい。明和県央の群馬の頂点を目指す新たな戦いが始まる。

<了>