群馬の高校野球2023夏 高崎健康福祉大高崎高校編③ 半田真太郎

自分の代で健大の歴史を変える! 努力でポジションを勝ち取った努力家。持ち前の走力でチームを県の頂点へと導く。

夏の県予選で現在ベスト4に進出している健大高崎。今春のセンバツで力を出せず完敗した報徳学園戦(兵庫)をきっかけにチームはさらに進化し、春の関東大会で優勝した勢いを保ち、8年ぶりの優勝を目指す。ここでは、チームのキーとなる3選手のインタビューを紹介する。
取材/Eikan Gunma編集部

半田真太郎(はんだ・しんたろう)
3年・内野手
2005年6月13日生まれ、横浜緑ボーイズ(横浜市立青葉台中学校)出身、168㎝・61㎏、右投右打

――半田君はサードからショートのポジションになりました。ショートを守る上で大切にしていることはどんなところですか。

 ショートは、センターラインでもあり、守備の中でも要のポジションだと思っています。自分の一番の武器は足(50m走 6.1秒)が使えることなので、肩がそんなに強くない分、どれだけ足を使って送球できるのかというのをずっと考えています。

――ショートのポジション争いは、下級生の台頭もあり、し烈だったと思います。
 
 自分の代になって、秋はサードだったんですが、センバツからショートをやるようになってからずっと自分にこのポジションを任せてもらっているんです。高校に入ってきた時、ショートのポジションに多い時で10人弱ぐらいいて、「嘘だろう」と思ったのを覚えています。最初はライバルが多かったです。

――ライバルが多い中で、どのようにショートのポジション争いを勝ち抜いたのですか。

 守備に自信があったので、その守備を生かしつつ、中学校の時からの課題だったバッティングで、どれだけ打率を伸ばせるかを考えて練習に取り組みました。おかげで、高校でバッティングがすごく成長したと実感しています。

――足の速さでチャンスを作るのを期待され、今、1番を打っています。他の高校の選手から怖いバッターの一人にも名前を挙げられていました。高校に入ってからどのようにバッティングに取り組んだのですか。

 自分の力だけじゃなく、赤堀佳敬コーチや先輩、同級生から、いろいろと練習方法を聞いたりしながらバッティングの知識を増やしました。最初は、パワーが全然足りなかったので、ウエイトトレーニングをしたり、スイングの軌道やタイミングなどすべてにおいてレベルアップするために、いろんなことを教えてもらいながら、その中から自分合うものを取り入れて、いい形で自分のものにしようと思いした。

――いろんな人たちから得た知識の中から、自分に合うものを考えて取り入れていったのですね。

 指導者はアドバイスをしてくれても強制はしないので、本当に自分で考えることが多くなりました。バッティングをしているときは、1スイングごとに「今のはどうだったかな」と考えています。高校に来てからとても考えることが多くなりました。

――6月時点で、打率が0.359で、長打率が0.641で、10本ヒットを打ったらそのうちの6本が長打。ホームランも19本です。昔から長打力はあったのですか

 自分の代になってからです。冬を越えてから長打が増えた感じです。バッティングを強化するためにやったウエイトトレーニングの効果だと思います。その中で、どうしたら遠くに打球が飛ぶのかを考えながらロングティーをやっていったのが、長打が多くなったことにつながっているのかなと思います。

――話を聞いていると、成長のキーポイントが考えることなんだなと思います。

 そうですね。いろんな人に教えてもらいながら、そこで自分でもどういう風にしたらいいのか、何が自分に合っているのかと考えてやることが、いいことだと思います。

――考えて自分で何かをつかむという習慣は、昔から?

 高校に入ってからです。中学校の時は、ただやっているだけでした。高校に来てから、小さな目標でも大きな目標でも、目標を立てたらそこに向かって、今、自分がやるべきことを考えてできているかなと思います。
 正直、小、中学生の時は、野球をやっている子なら、皆、プロ野球選手になりたいって思うんですけど、高校に入ってから自分の実力を知り、プロ野球選手になるという目標を大体の人が替えていくと思うんです。でも自分は、中学の時よりも高校に入ってからの方が、本当にプロ野球選手になって活躍したいという思いが強くなったんです。スタッフの方々からも、「プロ野球選手を目指せ」と言ってもらえたり、それから自分でも意識するようになりましたし、監督からも「今は、U18日本代表を目指してやりなさい」と言われたりして、自分でも高いレベルを意識して野球をやれているのかなと思います。

――半田君は神奈川県の出身ですが、なぜ群馬の健大高崎に入ろうと思ったのですか

 中学の時は、横浜高校や東海大相模原高校といった強豪チームに行ける実力がなかったんです。本当はそういう高校に行って、甲子園に行きたいと思っていたんです。神奈川は激戦区でもあり、なかなか甲子園に行けません。自分の中で、甲子園に出て優勝したいという気持ちがあり、中学時代の健大高崎出身のコーチに勧めてもらったんです。
 健大高崎は、群馬県でも決勝まで行くチームですが、あと一歩のところで甲子園に行けていません。自分の代で夏の県大会で優勝して、甲子園に行きたいという思いがすごく強いです。

――入学当時、同じポジションに10人弱の選手がいたわけですが、その中でポジション争いは大変だったと思います。

 入学して最初の頃は、同期の中でも2試合目に出たりして、レギュラーではなかったんです。「今のスタメン選手を抜かして、絶対に試合に出るんだ」という気持ちで入学当初からやってきて、やっぱり「スタメンの選手たちと同じ練習量じゃだめだな」と思い、たくさん練習をしてきました。「絶対にレギュラーになってやる」という気持ちで練習したことが、今につながっていると思います。

――チームとしてさらに成長する転機になったのが、今春のセンバツだと思います。このセンバツで準優勝した報徳学園に2-7で敗れた試合から学んだこととは何でしょうか。

 あの試合は、自分たちの野球ができずに完敗しました。秋からセンバツに向けて足を絡めた攻撃をしていこうとやってきたんですが、センバツの報徳学園戦ではビハインドになってしまい、なかなか自分たちの力を発揮できずに負けてしまいました。それが本当に悔しかったです。
 春の県大会、関東大会では、自分たちのやってきたことが出せて、そこで自分たちの成長を一番感じました。

――センバツから克服できた課題は

 一番は、冬からやってきた走塁を絡めた攻撃ができるようになったことです。センバツまでは機動破壊といってもなかなかできなかったり、封じられてしまったところがあったんですが、春の大会では、失敗してもOKという気持ちで積極的に走ったことで、攻撃の幅が増えたと思います。ようやく自分たちらしい野球ができました。
 
――夏に甲子園に出場した場合、センバツに時のように、足を絡めた攻撃を封じられてしまう可能性もありますが、そういう状況になった時に、どうしたらいいのかをチームで考えているのですか。

 バントだったり、盗塁だったりという小技を使った攻撃は、自分たちの中では最終手段なんです。やっぱり打たなくちゃ勝てないのは自分たちも分かっているので、たとえ走塁が上手くいかなくても、勝つためにバッティング練習をしたり、守備の練習をしたりしています。本当にいいピッチャーが来たときには、とにかく打つしかないなと思います。あとは粘って攻撃につなげる。

――夏はやってやるという気持ちが強いのでは?

 もう7年、甲子園に出ていなくて、6回決勝で負けていて、「自分たちの代こそ」と思っていて、新チームが始まった時から、「健大の歴史を変えよう」とやってきました。目標は全国制覇ですが、まずは群馬を勝ち抜いて、甲子園に出場できるように頑張りたいと思います。

――最後に。高校を卒業した後は、プロを目指すのですか。

 大学に進学する予定です。まずは大学で経験を積んでから、プロに行きたいと思います。

<了>