プロ人生をスタートした矢先の大けが。完全復活に向け奮闘するスコアラー

群馬クレインサンダーズ
杉本天昇

3月30日の滋賀レイクスターズ戦

2021年2月5日、ヤマト市民体育館前橋で行われたバンビシャス奈良戦で、杉本は選手生命を脅かしかねないけがを負った。同年1月1日、日本大学4年次に特別指定選手として群馬クレインサンダーズに加入。徐々にチームに馴染み、プレータイムを増やしていた中での左膝前十字靭帯断裂だった。それから約9カ月後、ようやくベンチ入りしコートに立てるまでに回復したが、けがをする前のコンディションまでは戻っていない。将来の日本のバスケ界を背負って立つスコアラーの杉本に、けがのことや復帰までのことについて話を聞いた。

文・写真/星野志保(EIKAN GUNMA編集部)

 けがをしたのは、2021年2月5日のバンビシャス奈良戦の2Q残り約7分だった。ボールをスティールした杉本は、相手のプレッシャーをかわすために体勢を崩しながらジャンプして、スペースにいた田原隆徳(現・山形ワイヴァンズ)にパスを出し、着地した瞬間に「痛い」と叫び、倒れ込んだ。ちょうど、田原が3ポイントシュートを決め、会場が歓喜に沸いた中での出来事だった。杉本は立ち上がることができず、チームメイトに両肩を支えられながらコートを後にした。
「足を着いた瞬間に、変な音がしたので、自分でも『これはマズイな』と思いました。ある程度覚悟して病院に行きました」
 下された診断名は、左膝前十字靭帯断裂と、その合併損傷である左膝内外側半月板損傷。全治9カ月の大けがだった。
 2月8日にクラブから出されたニュースリリースに、杉本はこうコメントしている。
「チームに合流して間もない中でプレータイムも少しずついただけて、ようやくチームへ貢献できると思っていた矢先のけがとなり、自分自身非常に残念で申し訳ない気持ちです。今は現実と向き合い、一日も早くまた皆様の前でコートに立てるよう、治療とリハビリを行っていきます」
 1月に群馬に来たばかりの杉本は、土浦日大高校時代からお世話になっている茨城県内の病院で手術を受けた。術式は、膝の皿の下の腱を用いて断裂した前十字靭帯を再建するBTB法。採取した腱の両端に骨片を残すため、再建術後は骨癒合により再建靭帯が早く安定するという利点がある。デメリットとして、膝から腱を採取しているため、一時的に膝前面痛や大腿四頭筋の筋力低下を起こしやすいが、これらはリハビリやトレーニングで解消されていく。
 手術を終えた杉本を待っていたのは痛みとの戦いだった。
 「しんどかったことしか覚えていないです。歩くのに1カ月弱ぐらいかかり、その間もずっと痛かったんです」
 過酷なリハビリも待っていた。最初は松葉杖をついて歩く練習から始め、次に壁をつたって歩くといったように「赤ちゃんの成長のような感じ」(杉本)で、段階を踏みながら競技に復帰できるまでに回復させていった。
 人生初の大けがで戸惑いもあったが、落ち込んでいても何も始まらない。「とにかく、一日でも早く復帰できるように頑張ろう」と気持ちを切り替えた。つらいリハビリを乗り越えられたのは、チームのトレーナーや、当時の指揮官だった平岡富士貴HC、友人、家族の支えがあったからだ。
 「平岡HCは、けがをした奈良戦が終わった直後に、誰よりも早く連絡をしてくれて、『コートに早く戻ってくることを期待しているよ』と言ってくれました」
 多くの人たちから励まされた中で、一番心に響いたのは両親からの「ゆっくり休めよ」という言葉だった。
 「些細(ささい)な言葉なんですけどね。中学から親元を離れてずっとバスケットをさせてもらっているので、一番感謝しているのは両親なんです。けがをしないでコートに立ってバスケをしているのが一番の恩返しだと思っていた中で、けがをして両親から連絡が来たときには、なんかちょっと…」と申し訳ないという気持ちになったが、「ゆっくり休めよ」という言葉に救われた。

今季のチームの始動日に、1人黙々とトレーニングをこなす杉本(2021年8月16日、太田市内の体育館)

 今季のチームのスタート日である8月16日、トーマス・ウィスマンHCが新指揮官として正式にチームを指導する日に、杉本も同じ体育館にいた。チームメイトたちがボールを使って、ディフェンスの練習に重点を置いて練習をしている中で、杉本は体育館の端で、トレーナーとマンツーマンで復帰に向けて筋力や瞬発力を上げるトレーニングを黙々と行っていた。ケガをしなければチームメイトと共に10月1日の開幕戦に向けて一緒に練習をしていたはずだ。生き生きとした表情で練習をするチームメイトを横目に、「いいスタートを切れなかった」と悔しさがこみ上げた。

 12月4日の京都ハンナリーズ戦では、92-69で勝利が確実になった4Q残り3分34秒でコートに立ち、約1分後に3ポイントシュートを思い切りよく打った。残念ながらリングに沈めることはできなかったが、「打ったときに『ヤバイ』と思ったぐらい、タイミングがよくなかったんです」と、その時のことを鮮明に覚えている。

 復帰後の初得点は、今年1月8日の65-106で敗れた島根スサノオマジック戦。この試合は、笠井康平、トレイ・ジョーンズ、ジャスティン・キーナンというチームの中心選手をけがで欠くという緊急事態の中で行われた試合だった。杉本は9分36秒という復帰後一番長い時間コートに立ち、4Q残り5分を切ったところで今季初の3ポイントシュートを決めた。チームは負けたが、杉本はフリースロー3本を含む8得点を決める活躍を見せた。
「試合には負けてしまったんですが、自分の持ち味である3ポイントシュートが決まったし、高校の同級生でもあるテル(菅原暉)と一緒にコートに立てたので、昔を思い出しながら楽しくプレーできました」
 杉本にとってチームメイトの菅原は特別な存在だ。土浦日大高校時代のチームメイトであり、一緒にサンダーズに加入した仲である。
 「テルは、一緒に切磋琢磨して頑張れる相手。テルが頑張っていれば、自分も頑張れるし、互いにそう思える相手なんです。高校で一緒にプレーしていたので、テルはシューターの自分を上手く使ってくれるんです」と信頼を寄せる。島根戦で決めた3ポイントシュートも、菅原からのパスだった。

3月23日の川崎ブレイブサンダース戦

 サンダーズに来てから約1年5カ月が経とうとしている。秋田出身の杉本が驚いたのは群馬の気温の変化の激しいところ。「夏の暑さはとてもしんどかったです。僕の実家は秋田なので冬の寒さにはなれていたはずなんですけど、群馬はそれとは違う寒さでした」と全国の最高気温を記録するほどの夏の暑さと、空っ風が体温を奪うような冬の寒さに戸惑いを見せつつ、「住みやすいし、バスケットに集中できる」と、群馬の良さも感じている。
 オフの日には、疲れた体を休ませるために家でたっぷり睡眠をとり、お気に入りのゲームをしたり、スマホでクックパッドを見ながら料理を作ったりしながらのんびり過ごしている。得意料理は、オムライス。ソーセージと玉ネギ、グリンピースを入れる。半熟トロトロ卵をケチャップライスに乗せるのではなく、しっかり火を通した卵がお気に入り。
 昨年まで伊勢崎市の体育館でチーム練習をしていたこともあり、杉本が住んでいるのは伊勢崎市。よく行くのはスマーク伊勢崎だ。「ここの無印良品によく行きます。そこの化粧品が肌に合うので、愛用しているんです。これ、書いておいてくださいね」と、いたずらっぽく笑う。
 必死にトレーニングに打ち込んだり、練習でもわからないことがあると先輩に質問したりしている姿を見ていると、真面目で努力家という印象を受ける。本人曰く、「行き当たりばったりで、自由人だと思います。だけど、自分のこだわりのあるところに関しては神経質です。でも他人に興味はないし、まったく関係のないことは無(む)です」と自身の性格を分析する。

川崎ブレイブサンダース戦の前にシューティング練習をする杉本(2022年3月23日、太田市運動公園市民体育館)

 今季のレギュラーシーズンも残り8試合となった。大けがからの復帰で、なかなか試合に出られない日々が続いているが、今はけがをする前の60~70%のコンディションを100%に戻すことに集中している。
 「大学No.1のスコアラー」と言われていた杉本は、小学時代から得点能力の高さを評価されていた。土浦日大高校時代に出場した関東高校バスケットボール新人大会の八王子高校との決勝戦では、1人で3ポイントシュート12本を含む60得点を挙げる活躍で、チームを優勝に導いている。また日本大学1年次には、ワシントン・ウィザーズの八村塁と共に、FIBA U19バスケットボールワールドカップ2017に出場。2年次の第70回全日本大学バスケットボール選手権大会では得点王に輝いたほど、得点能力に優れた選手である。
 つらい状況は人を成長させるという。来季は、人としても選手としてもグンと成長した姿を見せてくれるだろう。そして、「サンダーズの得点源」としてコートで躍動してくれるだろう。杉本のプロ人生はまた始まったばかりだ。

<了>

■プロフィール
杉本天昇(すぎもと・てんしょう)

1998年7月20日生まれ、秋田県出身。秋田市立山王中学校~土浦日大高校~日本大学。小学生のときからスコアラーとして頭角を現す。高校時代の関東バスケ新人戦の決勝戦で60得点、2016年のFIBAアジアU18大会のカザフスタン戦で43得点を挙げるなど、スコアラーとしての才能を爆発させている。大学2年次のインカレでは得点王にも輝いた。大学1年次にはFIBA U19W杯2017に八村塁と共に出場。将来の日本のバスケ界を背負う選手として期待されている。大学3年次に特別指定選手としてレバンガ北海道に加入。サンダーズには大学4年次に特別指定選手で高校時代のチームメイトである菅原暉と共に加入した。186㎝・86㎏、シューティングガード(SG)、背番号10。