チーム創成期のドタバタの中でチームを支えた初代キャプテンが対戦相手として帰郷

三遠ネオフェニックス
岡田慎吾

2022年4月27日に太田市運動公園市民体育館で行われた三遠ネオフェニックス戦で、チーム創設当時のメンバーで、初代キャプテンを務めた岡田慎吾が対戦相手として地元群馬に戻ってきた。チームの歴史を語る上で欠かせない選手、岡田を紹介する。
文・写真/星野志保(EIKAN GUNMA編集部)

 サンダーズの初代キャプテンが、8シーズンぶりに、今度は対戦相手として群馬に戻ってきた。 

「地元というだけで、しっかりしたプレーを見せなきゃなという強い気持ちで試合に臨みました。何年ぶりかで両親の前でもプレーできました。楽しい時間でした」と、試合後の会見でこう語った岡田。

 岡田は桐生市出身で、桐生市立東中学校から樹徳高校、國學院大學を経て、2006年に、当時、JBLに所属していたオーエスジーフェニックス東三河に加入。2012-13シーズンは、地元に誕生した群馬クレインサンダーズにFA権を行使して移籍し、2シーズンにわたってキャプテンとしてチームをまとめた。2014-15シーズンには古巣の浜松・東三河に戻り、39歳になった現在も現役で活躍している。

*【オーエスジーフェニックス】現・三遠ネオフェニックス。1965年にオーエスジーのバスケットボール部として創部。JBL時代の2007年にチーム名を「オーエスジーフェニックス東三河」と変え、2008-09シーズンにbjリーグに転籍した際にも、「浜松・東三河フェニックス」とチーム名を変更。Bリーグになってから三遠ネオフェニックスと再びチーム名を替えている。

 サンダーズ設立当初、『スラムダンク勝利学』の著者でスポーツドクターでもある辻秀一氏がGMに就任し話題になったが、シーズンが始まる前に退任するというドタバタ劇が起きた。クラブには、バスケ界に詳しい人材はおらず、大学でバスケを指導していた林正氏をHCに招聘。だが、プロバスケットボールチームを率いる手腕に乏しく、2012年10月7日のシーズン開幕から0勝8敗と成績が低迷。チームとしての成長が見られないと業を煮やしたクラブは10月29日に林HCと森田庸介ACを解任した。

 HCもACもいない状況の中、11月3、4日の横浜ビー・コルセアーズ戦に備えて、選手たちだけで体育館に集まり練習に取り組んでいた。キャプテンの岡田はチームメイトと共に対戦相手の直近の試合を映像で確認していたが、彼らの顔には「これからどうなるんだろう」という不安な表情が浮かんでいた。新規参入チームで、しかもクラブの経営陣に日本バスケ界にパイプを持つ者はいなかった。選手を巻き込んでの新HC探しとなった。クラブは11月1日付けで、bjリーグの仙台89ERSや大阪エヴェッサでプレーし、2010-11から大阪でHCとして指揮を執っていたライアン・ブラックウェル氏の新HC就任を発表した。

 bjリーグ1年目を14勝38敗、勝率.269とイースタンカンファレンス最下位の11位で終えたサンダーズは、翌シーズンもライアンHCと契約したものの、シーズン開幕から約2カ月経った2013年12月15日付けで成績不振を理由に契約を解除。ACコーチだった藤田弘輝氏(現・仙台89ERSのHC、現役時代は浜松・東三河で岡田と共にプレー)が残りのシーズンの指揮を執るなど、クラブのドタバタは相変わらず続いた。

持ち前のしいディフェンスで、岡田はサンダーズの選手たちを苦しめた(2022年4月27日三遠戦、太田市運動公園市民体育館)

 成績不振や度重なるHCの解任など厳しい状況が続いていたチームを支えていたのが、岡田だった。

 bjリーグ参入1シーズン目を終えた後のインタビューで、開幕戦から12連敗と勝てなかった時期について、「苦しかったです。自分の力のなさに泣きました」と胸の内を吐露(とろ)した。また、開幕からわずか1カ月も経たないうちにHCが交代したことについてもこう話している。

 「HCが代わるというのは、これまでやってきたバスケットのシステムがまったく変わってしまうということ。シーズン中だったので、いかに早くライアン(ブラックウェルHC)のバスケットに心も体も切り替えられるかが大事でした。全体練習が終わった後に、日本人選手だけでシステムを確認していたら、外国籍選手も『俺らも混ぜてくれ』と言ってきたので、チーム全員で新しいシステムに取り組んでいました」

 負け混んでいるときのチームの状態についても「みんな人のせいにしていた気がします。その前にまずは自分が成長しようと思わないとダメなんだろうなと思って、その状況を見ていました」と、選手たちの姿勢に苦言を呈した。また、チームの成長を促すために、「僕は、若手と仲良くしすぎないようにしていたんです。もともと僕は普段からベラベラ話す方ではないし、あんまり仲良くしすぎるとなれ合いになってしまうので、ちょっと怖がられるほうがいいんです。負けて笑っているようなチームで、僕はプレーしたくないですから」と、若い選手たちにプロの厳しさも植え付けた。

 岡田は、2シーズンでサンダーズを去ったが、翌シーズンには浜松・東三河をキャプテンとしてリーグ優勝に導いたほど、キャプテンシーにあふれる選手である。サンダーズに在籍していたとき、岡田に自身のプレーの持ち味について聞いたときに、「一生懸命に、手を抜かない、学生のようなガムシャラなディフェンス」と語っていた。8シーズンぶりに対戦相手として群馬に戻ってきた岡田のプレーは、サンダーズにいたときと遜色ないほどガムシャラなディフェンスを見せてくれた。

 現在、岡田の在籍する三遠は西地区最下位で、「試合中に不満な顔をする」(清水太志郎HC)など、チームとしてバラバラになりやすい状況だが、4月27日のサンダーズとの対戦で、試合途中からコートに立った岡田のプレーから、「チームを変えたい」という強い意志が感じられた。

39歳の今でも三遠にとって欠かせない選手である(2022年4月27日三遠戦、太田市運動公園市民体育館)

 今シーズンからサンダーズはB1で戦い、昨シーズンに信州ブレイブウォリアーズが記録した昇格初年度の最多勝利数20を超えて、4月24日現在の勝利数を22とし、その記録を更新中である。オープンハウスの完全子会社となり、選手の補強にも力を入れ、クラブは日本一のチームを目指している。2012年にチームが誕生し、クラブ存続の危機に何度もさらされながらも今日までクラブが存続できているのは、クラブを群馬で誕生させた「げんき堂」や、経営的に厳しい環境の中で懸命に働いていたクラブスタッフ、選手たちの頑張りがあったからこそである。一番大変なクラブの創成期にキャプテンとしてチームを支えた岡田の功績も大きい。クラブの歴史を語る上で岡田の存在を決して忘れてはならない。

<了>