斎藤佑樹であるために。僕が感情を出さない理由

北海道日本ハムファイターズ
斎藤 佑樹


*群馬県出身の斎藤佑樹投手(北海道日本ハムファイターズ)は今年でプロ11年目を迎える。3月26 日に2021シーズンが開幕するのを前に、今年の活躍を応援するため、2018年12月に地元スポーツ雑誌に掲載した斎藤投手の記事を紹介する。

©星野編集事務所、菊地高弘、幡原裕司


時代の寵児ともてはやされた男は、いま雌伏の時を過ごしている。群馬から東京・早稲田実業に進み、高校野球の頂点に君臨した“ハンカチ王子”も、30歳を迎えた。思うようにいかない日々を過ごしていても、斎藤佑樹は自分の可能性を信じ、誇りを持ってチャンスを狙っている。

取材/菊地高弘 撮影/幡原裕司

もどかしい日々を送る
30歳のハンカチ王子

 シーズン中盤に痛めた腰の具合を聞くと、冗談めかして「歳もとってくると腰にくるんですよ」と応じた。
 笑顔は十代の頃から変わらない、爽やかさをたたえている。それでも、時間はどの人間にも平等に流れている。2018年、斎藤佑樹は30歳になった。
 周りの友人は「30代の実感」を口にするが、実際に斎藤自身が体力的な衰えを感じることはないという。ただ、年齢のせいにすることはないにしても、自分の体が言うことを聞いてくれないもどかしさは、ここ数年感じ続けている。
 「(2012年に)肩を痛めてから、体が思うように動けていないのはたしかです。ただ、それは筋肉の衰えというよりは、疲れがたまってくると関節を守ろうと筋肉が硬くなってくる部分もあるのだと思います。そういうこととはうまく付き合っていかないといけないので」
 試練の年が続いている。プロ1年目に6勝を挙げた。誰もが「斎藤佑樹ならこんなものではない」と、さらなる期待を寄せた。だが、近年の斎藤は2ケタ勝利はおろか、シーズンのほとんどを2軍で過ごしている。気がつけば年齢は30歳になり、ルーキーイヤーに残した数字がキャリアハイのまま時間は過ぎている。
 2018年の1軍登板はわずか3試合に留まり、8月下旬からリリーフに転向した。ファームでは21試合に登板して防御率3.09。リリーフ転向後は、ファームとはいえほとんど失点することはなかった。
「ずっと先発をやってきたので感覚がまだわかりませんけど、僕はどこでもいける準備をしておかないと。今年中継ぎでやってきたことが、来季に生かせたらいいなと。もう結果が残せればどこでもいいです」
 もはや自分が起用法の希望を言えるような立場にはないことは、誰よりも承知している。そして2019年が自身にとってラストチャンスであることも。

鎌ヶ谷スタジアムで走り込みを行う新垣勇人(左)、斎藤佑樹(中)、鍵谷陽平

 インタビューの日、千葉・鎌ケ谷スタジアムには朝から走り込む斎藤の姿があった。並走するのは鍵谷陽平と新垣勇人。新垣は今季限りでの戦力外通告を受け、つい数日前に12球団合同トライアウトを受けたばかりである。かつての仲間たちと時には笑顔を交えて自主練習に励む新垣だが、内心は他球団からの連絡があるかどうか、気が気でない心境に違いない。そんな新垣の姿に弱肉強食の世界の厳しさを感じずにはいられなかった。
 斎藤とて、同じプロである以上は他人事ではなかったはずだ。戦力外通告が告げられる時期の心境を尋ねると、珍しく語気を強めて「ソワソワしたりすることはないですね」と断言した。
「毎年覚悟を決めてやっているので、残りの1カ月でバタバタすることはないです」
 自分のことを誰よりも客観的に見つめ、常に最善の努力をしている。斎藤の言葉から、そんな思いが伝わってきた。

批判を浴び続けていても
「楽しい」と思える理由

 近年の斎藤佑樹という選手を見ていると、「なぜここまでやれるのだろう?」と不思議に感じることがある。
 12年前の夏、甲子園球場で誰よりもまぶしい輝きを放ち、斎藤は日本一有名な高校生になった。早稲田大でも結果を残し、ドラフト会議では4球団から重複1位指名を受けた。頂を登った男だけに、結果の出ない現状に無傷のままではいられない。手のひらを返すような批判を浴び、なかには明らかに行きすぎた心ない誹謗中傷までぶつけられる。思い通りに動かない体を言い訳にすることもできたはずだ。それでも、斎藤はノーアウト満塁のピンチを耐え忍ぶように、我慢の日々を過ごしている。
 斎藤は思うようにいかない日々について、「結果を残すために何か必要かなんてありませんし、結果を残している選手と残していない選手の違いがわかれば苦労しないですよね」と笑って、こう続けた。
「これをしたから成功する……というものが見えないからこそ、野球は楽しい。そう思うんです」
 斎藤がいま求め続けているのは、「強いストレートを投げる」というシンプルなことだ。ストレートで少しでも空振りやファウルを奪えたら、カットボール、スライダー、ツーシーム、フォークといった変化球が今まで以上に生きてくる。
「いいストレートは投げた瞬間にわかるんです。キャッチャーの手元でピュッと伸びていくような球筋。キレがあって、強さのあるボール。スピードはもういいんです。今は強いボールをいかにしてコンスタントに投げられるかが大事だと考えています」
 目指すべき方向はここ数年、ブレていない。あとはそのイメージに近づけるため、途方もない時間を過ごすだけの忍耐があるかどうか。斎藤が生きている世界とは、そんな厳しさに満ちている。
「コツをつかむチャンスをものにする。その瞬間のために準備をしておくしかないと思うので。あとは我慢ですね」
 悲壮感というよりも、達観の境地と言うべきか。その言葉には重さよりも、斎藤特有の不思議な柔らかさがあった。
 シーズンオフは走り込みに時間を割き、スタミナを養いつつ、バランスのいい肉体作りに取り組んでいるという。

自然体こそ自分の武器
感情を殺しマウンドへ

 斎藤佑樹という人間を見ていると、不思議な感覚にとらわれることがある。毀誉褒貶を浴び、人間の美しい部分も醜い部分も、人の何倍も目にする機会があったに違いない。それでも、インタビューに答える斎藤も、ファンと接する斎藤も、いつも構えたところがない、自然体に感じるのだ。そんな印象を本人に伝えると、斎藤は何事か考え込んだ後、こうつぶやいた。
 「『自然体』といい言葉で言ってくれる人もいれば、『危機感が薄い』というように感じる人もいるんです」
 そして斎藤は、問わず語りに自身の内面を語り始めた。
 「最近、東京の高校野球の指導者講習会で講演をすることになって、原稿を作っているんです。高校時代の自分を振り返ってみると、2年生の終わりから3年生に上がるまでにかけて、自分のマインドを変えていたことに気づいたんです。2年生までの僕はかなりキレやすい性格でした。感情を抑えて、うまくコントロールできるようになってから、ピンチでも逆転されても平常心で投げられるようになりました。それが甲子園の優勝にもつながったと思います。いま結果が出ていないと『危機感がない』と映る人もいるかもしれませんが、僕のなかでは感情を表に出さないことは成功体験になっていますし、僕のよさでもあると思っています。問題は別のところにあるので、そこは変えるつもりはないんです」
 どんなに結果が出なくても、明るい兆しが見えなくても、斎藤佑樹に死にもの狂いの危機感が見えなければ、それは斎藤があきらめていない証拠なのだ。「ノーアウト満塁のピンチを耐え忍ぶ日々」と書いたが、斎藤はまだピンチを脱出するために、自分がこれと信じた努力を続けている。少しでも太く長い野球人生にするために、できることを積み上げているのだ。
 とはいえ、斎藤が過ごす日々は真っ暗に塗り潰された光のない空間ではない。今でも届くファンレターを読むことは、斎藤にとって背中を押される時間だという。
「復活するまで待っていますとか、札幌ドームのマウンドで投げるのを楽しみにしていますとか、励ましてくれるファンの方はすごくありがたいですね。群馬の方からもいただきますよ(笑)」

 今でも「上毛かるた」の一節をそらんじる斎藤は、郷土愛を隠さない群馬県人でもある。日本ハムで群馬にゆかりのある選手といえば、ソフトボール選手ながらプロ野球に挑戦して話題になった大嶋匠がいるが、残念ながら2018年限りで戦力外通告を受けた。それでもシーズン途中には渋川市出身の藤岡貴裕がロッテから移籍し、ドラフト会議では伊勢崎市で育った野村佑希(花咲徳栄高)が2位指名された。
 斎藤は「野村くんも入るし、楽しみですね」と相好を崩しつつ、群馬県民へのメッセージを贈ってくれた。
「群馬県の代表として群馬を盛り上げられるように、日本の球界を盛り上げられるように。もう一度努力して、活躍できるように頑張ります」
 その笑顔には、やはり余計な力みは感じられなかった。斎藤佑樹は、やはり斎藤佑樹のままだった。

<了>

■Profile
斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)
1988年6月6日生まれ。群馬県新田郡新田町(現太田市)に生まれ育ち、高校は東京・早稲田実に進み2006年夏に全国制覇を達成。早稲田大を経て2010年ドラフト1位で日本ハムに入団した。2019年でプロ9年目を迎える。
*プロフィールは2018年12月時点のもの