コロナ禍のスポーツ

高校編

前橋商業バレーボール部 #1

見失いかけた目標

コロナ禍で磨かれた人間性

2020年は、新型コロナウイルスに翻弄された1年だった。高校スポーツ界を見ると、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、全国高等学校選抜野球大会、全国高等学校野球選手権大会、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)、国民体育大会などの全国大会や地方大会が軒並み中止に追い込まれた。高校3年生にとっては、出場を目指していた大会がなくなり、目標を失った選手もいただろう。本稿では2020年のコロナ禍で思うように練習ができなかった高校3年生にスポットを当て、日常生活や部活動が制限される中で、どのように気持ちを切り替え、スポーツに打ち込んできたのかを紹介する。

文・写真/EIKAN GUNMA編集部

取材のために体育館に集まってくれた前橋商業バレーボール部の3年生。
多くが大学でもバレーボールを続けるという(取材日/12月14日)

 4年連続14回目の全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)出場を目指していた前橋商業高校男子バレー部も新型コロナウイルスによる活動制限のある中で、もがき続けた1年だった。

  新チーム(現・3年生)は、春高バレー県予選を勝ち抜き、全国への扉をこじ開けた小林潤監督の下でバレーボールをしたいと入部してきた選手で、県内の中学校でキャプテンやエースとして活躍していた子たちが集まった。小林監督も「今年のチームは力もある。去年からのメンバーが残っていたので、チームが仕上がってくれば、全国でも戦えるかなと思っていたんです。今まで春高バレーで1つも勝てていないですが、新チームがスタートした時に、全国とも戦える力はついてくるのかなと思っていたんです。ですが、スタートができなかったものですから…」と、期待に胸を膨らませていた中で、突然、世界中を襲った新型コロナウイルス感染拡大。前橋商業は3月1日の卒業式の翌日から休校となり、部活動も停止。トレーナーを依頼している善衆会病院に所属する理学療法士の太田陵介さんに作ってもらった家でできるトレーニング動画を選手に送り、「各自、しっかりやっておくように」と伝えた。だが、肝心のボールを使う練習は、選手たちに任せるしかなかった。

 キャプテンの小林透弥選手(3年)は、自宅の畑にコートを作った。

 「ビーチバレーの真似みたい。『ファームバレー』です。中学時代の仲間や、来られるチームメートを呼んで、(ボールを使った)練習をしていました」

 また、部長の山根大幸選手(3年)も、ホームセンターで園芸用のネットを買って、公園に自作のコートを立て、こちらも中学時代の部活仲間やチームメートを呼んで練習に取り組んだ。

 部活動ができない時間で、彼らが身につけたものがある。小林選手は、体育館とは違い思うように動けない中で、スパイクやレシーブの精度を上げることに取り組み、ジャンプ力も向上した。山根選手は、感謝の気持ちだ。「体育館で練習できるありがたさを感じました。部活が再開し、最初に体育館で練習したときに、当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃないだって感じました」

 ようやく5月末から学校が再開され、部活動ができるようになったのが6月中旬だった。インターハイが中止となり、例年、このインターハイを区切りに部活を引退する選手も出るのだが、開催されるかどうかがわからない春高バレーに向け3年生が結束し、マネージャーの引田充咲さん(3年生)を含め16人全員が、春高バレーが終わるまで部に残ることを決めた。それは、4年連続で春高バレーの本戦に出るためだ。

 部活再開から県予選まで約5カ月。コロナ禍で例年以上にスタートが遅れている。練習試合が解禁となったのは7月で、しかも県内の学校との試合に限られていた。ようやく県外の学校と練習試合ができるようになったのが8月。春高バレーの県予選まで3カ月を切った頃だった。

 7月に練習試合が解禁になると、自宅待機期間中に部活ができなかった影響が見られた。「1日中、練習試合をやっているのがしんどいという選手もいました。正直、私もしんどかったですね。部活がない環境に体が慣れてしまっていたんです。それがまた、土日に部活があるという生活に戻っただけなのに、精神的に疲れてしまう。選手は体も疲れていますから、私よりももっと疲れたのではないでしょうか。他の高校の先生も同じようなことを言っていましたね」(小林監督)

 例年は、春高バレーの県予選突破のために、県外の強豪チームと練習試合を重ねて調整をするのだが、コロナ禍で合宿を伴う練習試合ができない。そこで、春高バレーの全国大会出場の常連校である足利大学附属高校(元・足利工業大学附属高校)との練習試合を多く組むことにした。 「トータルで10日間ぐらい栃木の強豪校と練習試合をしました。1日10セット」と山根選手は教えてくれた。

 土日はできる限り練習試合を入れ、チームの強化を急ピッチで進めた。「練習試合を重ねていくうちに点も取れるようになっていたので、春高予選前は優勝する自信がありました」と山根部長が言うように、チームは4連覇に手ごたえを感じていた。

 11月7日の春高バレーの本戦出場をかけた決勝戦。4連覇というプレッシャーがかかる中で、「勝てる気しかしなかった」(小林透選手)というように、チームは優勝へ向け、伊勢崎高校との試合に臨んだ。1セット目を25‐22でものにしたが、3セット目の終盤の競った場面でチームにアクシデントが襲う。1年生のときから試合に出ているエースの滝本陸選手が突然コートに倒れ込んだのだ。アキレス腱と踵付近に痛みがあり、そこをかばってプレーしていたことで、他の場所に余計な負担がかかり、足がつったのだ。結局、滝本選手はコートに戻れなかった。

 プレーの中心だった滝本選手を欠いたチームは、3セット目を22‐25で落としたが、4セット目を27‐25でものにしたものの、5セット目で、点を取れるエースがいないことが響き、11‐15で敗れ、フルセットまでもつれ込んだ試合に敗れてしまった。

 4年連続の春高バレーの本戦出場の夢がついえた瞬間について、小林透選手は「本当に負けたのかな」としばらく実感がわかなかったというように、優勝を信じて戦ってきた選手たちは、しばらく現実を受け止められなかった。

 ショックを受けたのは小林監督も同じ。

 「今年は、(インターハイなどの)大会がなかったので、正直、他のチームの情況が例年以上に見えていなかったんです。感覚、調子の中でしか自分たちのチームを判断する材料がない中で、私自身、チームの仕上がりはいいと思っていたんです。だから、とにかく力を全部出し切れば勝てる見込みは高いだろうと、冷静にそう思っていたんです」

 決勝戦で伊勢崎高校に敗れた後、小林監督は眠れない日を1週間ほど過ごした。

 「一人になったり、寝ようとすると試合のことが頭に浮かんでくるわけです。そうするといろんな試合のときのいろんな映像が頭の中に戻ってきちゃうんです。考えたくもないのに考えてしまって、自分が自分じゃないような感じでしたね。そうは言っても新チームが始まっているので、学校にいれば当然、そういう姿を見せないようにしていました。見ている感じでは、子どもたちの方が、気持ちの切り替えは早かったんじゃないですかね。私の方が引きずっていた。これじゃダメだなと正直、思いました」

 それだけ小林監督にとっては思い入れの強い試合だった。その理由をこう明かしてくれた。

 「私情を挟むつもりはないですが、キャプテンの小林透弥は私の息子で、その息子と一緒にやれる最後の年だったんです。去年は選手と監督という立場で春高バレーに出場し、今年はキャプテンと監督という立場で、春高バレーを目指した。誰もが経験できることではないので、それ(4連覇)ができたら最高だなと思っていました」

 もう一つ、春高バレーにどうしても出場したい理由があった。3年間チームを支えてくれた清水亮コーチが春高バレーを区切りにチームを去ることになっていたからだ。清水コーチは4年前に前商が優勝した代のキャプテン。清水コーチが中学生のとき、当時、高崎工業のバレー部だった小林監督のもとへ毎週のように練習試合に来ていた。群馬選抜にも選ばれていた清水コーチは、他の選抜の有望選手が他校に進学を決める中で、「小林先生に教わりたい。小林先生のやり方で勝ちたい」と、小林監督が1年前に転任していた前橋商業を選んだ。そして清水コーチが高校3年生になったとき、念願の春高バレー出場を果たした。春高バレーで、1回戦で負けた夜、小林監督は「今までありがとう。もし亮がよければ、この後、コーチをやってくれないか」とLINEを送ると、「俺でよければ喜んでやります」と清水コーチから返事が来た。

 小林監督は、コーチを依頼したことについて、「私のやり方を全部わかってくれているし、何を言いたいかとか、何を教えたいのかを私が言わなくてもわかってくれているんです。なので、コーチを頼むとしたら亮しかいないと思ったんです」

 2人3脚で成し遂げた3年連続の春高バレー出場。4年連続とはいかず悔しさも残ったが、清水コーチと共に築き上げてきた前商バレーの精神は今後も選手たちに引き継がれていくだろう。

 コロナ禍で、例年のようにチームの強化が図れないために苦労も多かった中で、小林監督には今後の指導に生かせる光も見えた。

 「なんだか、自分自身が春高バレーに『出たい、出たい』ということにこだわりすぎていたんじゃないかと、冷静になった今だから思うんです。練習試合をたくさん組んだというのはありましたが、『試合のこういう場面ではこうしたほうがいい』というような細かい部分をもっと見られたんじゃないかなど、幅広く見られれば良かったのかな。私自身、気持ちに余裕がなかったのかなと思いますね」

 この経験は次の代の指導に生かす。

 「今まで当たり前だと思っていたことができないのが、このコロナ禍で経験したこと。たとえば、今日の練習で気持ちが乗らないからとか、調子が悪いからと適当に練習していたら、明日から練習ができないという状況が起きた。『いつできなくなるかわからない』ことを理解できれば、毎日無駄にすることなく練習できると思うんです。人間なんで気分が乗らないこともあります。そんなとき、『これは明日でいいかな』と仮に思うようなことがあっても、思ったことはそのときにやっておかないと、もしかしたら明日はできなくなってしまうかもしれない。練習試合でも同じ。いつできなくなるかわからないんだよ。だから練習試合の1セット1セットを無駄にしちゃダメなんだよと。そういうことは、これから選手たちに生かしていけるのではないかと思っています」

 新チームは、小林監督曰く、「今の1、2年生も能力的には今の3年生たちと全然引けをとらないぐらい高いものを持っています。時間はかかると思いますが、間違いなく優勝争いするチームになると思っています」

 来年の春高バレーの県予選で県の王座奪還を目指していく。

 軒並み大会が中止になる中で、春高バレーの県予選決勝まで、3年生全員で戦い抜いた前橋商業バレーボール部の選手たち。コロナ禍で体育館が使えない中、自らコートを作る工夫をしたり、仲間と声を掛け合って、自家製のコートで練習したりと、これまで当たり前だと思っていた環境が、当たり前ではないと知っただけでなく、その瞬間を無駄にしないこと、感謝の気持ちを大切にすることを学んだ。コロナ禍で思うようにバレーボールができないもどかしさもあっただろうが、一人の人間としての成長につながったことは、明るい希望と言えよう。

 今後、コロナ禍でチームを支えてきた前商の小林透弥キャプテン、シンデレラストーリーをもつ山根大幸部長、そして、チームの陰で支えた引田充咲ネージャーを紹介していく。