ザスパ創設時のメンバーが、COOとしてクラブ再建に挑む!

ザスパクサツ群馬COO
鈴木健太郎

COOとしてクラブに戻ってきた鈴木健太郎氏(写真提供/ザスパクサツ群馬)

「ザスパ草津」創設メンバーがCOO(最高執行責任者)としてクラブに戻ってきた。約15年ぶりにクラブを見た鈴木健太郎の目には、今のザスパの現状はどう映ったのだろうか――。新社長に就任した石井宏司と共にクラブ再建に挑む。

取材/星野志保(Eikan Gunma編集部) 取材日/2022年2月3日、14日

――2006シーズンを最後に、ザスパを去られました。今年ザスパに復帰するまでどういった仕事をしていたのですか。

鈴木 さまざまな会社を経験して、選手のセカンドキャリアの支援、選手のパフォーマンスを上げるコーチングや、人材紹介などの会社を経営していました。今回、ザスパのCOOに就任しましたが、自分の会社も引き続き経営しています。今回、ある取締役の方から「社長に興味がある?」と声をかけていただいたので前社長の赤堀洋さんに話を聞いたところ、「カインズの役員に会って欲しい」とのことでした。それがきっかけでCOOに就任しました。

――ザスパの後、ゴールドマン・サックス(本社アメリカ)やバークレイズ(本社イギリス)を経て、マイクロソフト、ファーストリテイリングで働いていました。特にファーストリテイリングでは代表取締役会長兼社長の柳井正氏の直属のプロジェクトに関わっていたと聞きました。具体的にはどんな仕事をしていたのですか。

鈴木 ファーストリテイリングには2年11カ月在籍していて、最初は、グループ全体(8アパレルブランド、年間500人程度)の新卒採用の責任者をしていました。新卒であっても入社から半年から1年程度で自社独自の店長代理資格を取って、店長のサポートをしてもらいますが、実質店長と同じ期待役割の仕事を担当することになるので、ユニクロの店舗を切り盛りできるぐらいのポテンシャルの高い人、優れたマネジメント能力がある人を選んでいました。店舗では、ヒト、モノ、カネのすべてを管理しなければなりません。一店舗につきアルバイトも含め30~40人のスタッフ、年商も1つのお店で幅がありますが数千万円の売り上げがある店舗全体を統括していく非常に責任が重い仕事になります。
 その後、柳井さんの直属のプロジェクトを立ち上げ、世界中から理系のバックグラウンドを持った経営幹部候補に特化した人材の採用をCxO(Chief×Officerの略。企業活動における業務や機能の責任者)の方々と共にリードしました。具体的には、5年でグループの執行役員になれるレベルの人材に特化した採用です。日本では、オンラインで注文を受けた場合、東京の有明にある会社の倉庫から発送しますが、ここでは倉庫が自動化されています。しかし日本以外の国ではまだまだ人力に頼っているのが現状で、海外でも倉庫の自動化を進められるようなプロジェクトをマネジメントできる人材や、中で動かすロボットの開発ができる人材なども採用していました。会社全体では「全員経営」という考えが徹底されているので、エンジニアも一人の経営者という考えのもと、優秀な人材を世界中から発掘していました。

――マイクロソフトでも働いていましたが、ここでも人事を担当していたのですか。

鈴木 マイクロソフトでは、開発者を含めた日本における新卒と、アジア地域におけるMBA取得者の採用の責任者をしていました。マイクロソフトで活躍しているのは、「これは誰にも負けない」と自分の仕事を突き詰めていける人たちです。外資系企業なので、ジョブ型雇用で採用していて、日本の多くの企業のメンバーシップ型雇用とは異なります。メンバーシップ型雇用は、新卒を一括採用して総合的なスキルを身につけさせるというものです。
 個人的な意見ですが、僕は専門的な知識や技術などが求められるジョブ型採用をしていかないと、日本は国際競争にも勝てないし、会社の成長も期待できないと思うんです。それはザスパも同じで、「何でもできます」ではなく、「○○なら誰にも負けません」と突き抜けている人を採用したいですね。仕事じゃなくても趣味の領域で突き抜けていてもいいんです。最後に勝つのは突き抜けている人材です。今まで働いてきた企業で共に戦ってきたのでほぼ間違いないと思います。まさにプロサッカー選手と同じです。この考えは石井さんとは違うかもしれませんが(笑)。将来、さまざまな仕事がロボットにとって代わられると言われていますが、「これだけは負けない」というものを持つ人がこれからは強いと思います。
 マイクロソフトでは働く環境が社員のパフォーマンスに影響すると考えていて、コロナ禍以前から社員の働く環境を整えていました。出勤時間、仕事をする場所も決められていないので、いつ、どこで働いてもいいんです。親の介護をしている場合、自宅や介護施設で介護をしながら仕事ができますし、リゾート地や地方都市にいながら仕事ができるワーケーションも可能です。

――ファーストリテイリングの採用で培ったものがザスパで生かせるのではないですか。

鈴木 採用と育成と組織開発は人事の領域ですので、ゴールドマン・サックスやバークレイズ、マイクロソフト、ファーストリテイリングでの経験をザスパに生かしたいと思っています。

――今年、COOという立場でザスパに戻られましたが、具体的にどんな仕事をするのですか。

鈴木 社長の石井をサポートしていきます。ザスパにはさまざまな課題があるので、優先順位の高いモノから取り組む予定です。中でもアカデミーの改革は優先順位が高く、すぐ取り組まなければならない課題だととらえています。理由の一つとしてJリーグが定めている「ホームグロウン制度」があります。既に2022シーズンが始まっていますが、来シーズン(2023シーズン)について、TOPチームで契約できる選手についてA契約という枠で登録できる選手が1人削られることが決まっています。来年以降もこの制度が続いて行くことを考えると、抜本的にアカデミーを再建する必要があるので、今はアカデミー再建にフォーカスさせてもらっています。
 もう一つは、人事制度全般の改革です。これまでザスパには、社員がどこに向かっていけばいいのか、何を目標にして、どう評価されて、それがどう給料に反映されるのかという基準がありませんでした。石井と共に作り上げていく感じです。

――ザスパがJリーグに昇格してから今年で17年目になります。J3に降格した2シーズンを除き、J2では下位から抜け出せていません。チームの成績ばかりがクローズアップされていますが、根本の原因はこれまで経営が上手くいっていないからだと思います。経営改革では、特に「ヒト」の育成と採用が鍵となると思いますが。

鈴木 僕もザスパは人材の採用、育成が極めて弱いと思っていました。スタッフそれぞれが担当領域で一生懸命に頑張ってくれているのですが、各担当が一人しかいない状況、属人的(企業などで、担当者しかやり方がわからない状態になっていること)な仕事になっているという環境が続いています。これでは人は育ちません。適材適所への配属もできていないと感じています。これら人事的な課題解決も優先順位が高く、経営が取り組まなければならない課題だと認識しています。石井もさまざまなネットワークがありますので、学べる環境を社員に提供してスキルを伸ばしてもらう。そういう形で人材の育成をしていきたいと思っています。
 そしていつかは、この「ヒト」の部分を営業のネタにしていきたいんです。「スポンサーになって看板出してください」という営業の時代は終わりました。「ザスパで人を育てるので、将来その人材を採用してください」というのも可能だと思っています。ザスパのアカデミーには幼稚園生から高校生年代までの幅広いカテゴリーがあります。最長15年、アカデミーに在籍している子もいます。学校の先生以上に一人の生徒を見続けている強みがあります。サッカーだけではなく、社会に出たときに必要になってくる社会人としての基礎能力を教育することもできます。アカデミー出身者をインターンシップによってパートナー企業で働かせてもらい、よければその人を採用してもらったりすることだってできると思います。企業にとって、「ザスパのアカデミー出身者なら安心して採用できる」という人材を育成したいと考えています。
 また、スポンサーや株主が抱える課題にも向き合い、一緒に解決していける方法も探していきたい。スポンサーのアクティベーション(活性化、有効化)です。それができれば、ザスパは地域に必要とされる、愛される企業になると思っています。

――可能性は広がりますね。

鈴木 一気にいろんなことはできないですが、時間をかけながら一つひとつやっていこうと思います。そのためには、ポジション(役職)に関係なく、スタッフ、ザスパに関わる方々と共に、クラブを作り上げていきたいですね。それは石井も同じで、「我々を上手く使って、クラブを良くしていこう」と考えています。

――成長が見込まれる企業は、社員が能力を発揮できるような環境を、経営陣が作り上げています。

鈴木 そうしていかないと、いい人材も育たないし、採用もできないですからね。

――最後に、ザスパでやってみたいことは何ですか。

鈴木 プロサッカークラブを作るという夢は、ザスパを作ったときにすでに達成しました。またザスパに戻ってくるとは思っていなかったのですが、やってみたいのはクラブ経営ですね。クラブを一つ上のステージに引き上げ、何年後かわかりませんが、J1昇格も経験したいと思っています。

<了>

■プロフィール
鈴木健太郎(すずき・けんたろう)
1977年12月13日生まれ、東京都出身。筑波大学大学院卒業後、ゴールドマン・サックスの内定を辞退し、2002年に大西忠生、植木繁晴らと共に、前身のリエゾン草津を引き継ぎ、ザスパ草津の設立に参画。チーム統括としてチーム強化に携わる。2006シーズンを最後にクラブを離れ、ゴールドマン・サックス、バークレイズ、マイクロソフト、ファーストリテイリングで人事のプロとして力を発揮。今年2月にCOOとして15年ぶりにザスパに戻ってきた。