8シーズンを地元のチームでプレーした小淵雅が現役引退。地元クラブへの思いを語る。

群馬クレインサンダーズ
小淵 雅

今シーズン、B1昇格、B2優勝を果たした群馬クレインサンダーズを去る選手がいる。2013-14シーズンに、創設2年目のクラブに移籍し、8シーズンにわたり在籍してきた大泉町出身の小淵雅選手である。絶対的なポイントガードとしてゲームをコントロールし続けた選手の引退で、サンダーズの一つの歴史が終わった。
シーズン終了後に行われた5月29日のファン感謝祭の始まる前に小淵選手にインタビューし、地元やファンへの思いと共に、結果を出し続けた今季のチームについて語ってもらった。

取材/星野志保

B2優勝の賞金ボードを持って喜びを語(2021年5月24日、茨城ロボッツ戦)

苦しい時を過ごして
つかんだB1昇格、B2優勝

――クラブ創設2年目の2013-14シーズンに、大阪エヴェッサ(当時、bjリーグ)からサンダーズに移籍して、8シーズンを戦いました。なかなか勝てないなど苦しかった時代を経験し、B1昇格、B2優勝ができたことをどう思っていますか。

小淵 このためにやってきたので、すごくうれしい気持ちが強いですね。

――優勝が決まった瞬間はどんな気持ちでしたか。試合後のセレモニーで、優勝ボードを島田慎二チェアマンから手渡されたとき、本当にうれしそうな表情をしていましたね。

小淵 うれしいのはもちろんあったんですけど、(今季の目標であるB1昇格、B2優勝の)プレッシャーがサッーと抜けていく感覚でした。セレモニーのときは、「勝った――!」というより、「終わった――!」って感じでしたね。

ファイナル ゲーム3の試合後に、平岡HCとハグをかわす(2021年5月24日、茨城ロボッツ戦)

――今シーズンは、会社からレギュラーシーズン5敗以内の「前人未踏」という厳しい目標が掲げられました。正直、この目標についてどう感じていたのですか。

小淵 目標設定に対して、選手は一生懸命に取り組んでいくしかないので、プレッシャーはありましたが、ずっとそういう気持を感じながら生活するわけでもないですし、実際に、プレーしているときもそういう気持ちはありませんでした。ただ、落ち着いたときに、ふと思い出すことはありましたし、周りから言われたときに「あ~、そうだったな」って思い返すこともあったので、最後の最後でいい形でそのプレッシャーがすっと抜けていったので、それはよかったですね。

――結果的に、厳しい目標があってよかったと?

小淵 目標設定は大事だなと思いました。

――昨シーズンが終わったときも現役引退を明言されていましたが、今シーズンは平岡富士貴ヘッドコーチ(以下、HC)に、「次のシーズンでラストかもしれない。最後もう一年」と言われて、「平岡さんに拾っていただいた恩があるので、最後、平岡さんと一緒にやりたい」と現役続行を決めましたが、その決断をしてよかったと思いますか。

小淵 ずっと目標にしていたB2優勝、B1昇格が達成できたのはすごくうれしいことだし、やっていてよかったなと思いました。ただ、シーズンの中で大変なことだったり、なかなかチームがうまく回らなかったり、そういうことへのストレスは例年以上に強かったんです。それもあって、シーズンが終わったときに「もうやり切ったな」という感覚は、これまでのシーズンよりも強かったですね。

――今シーズン、特に強く感じたストレスとは何だったのでしょう。

小淵 平岡さんのバスケットをうまく表現できなかったり、浸透しなかったり、反発も出たりというのがあったので、自分の中で「もうちょっと何かできたんじゃないかな」とすごく思います。シーズンを通してそこが悔やまれます。

セミファイナルゲーム1で、ベンチから出場しゲームをコントロール(2021年5月15日、越谷アルファーズ戦)

――試合後の会見で、チームのベクトルが同じ方向を向いたときに、すごく強いチームになると言っていましたが。

小淵 勝つことに対して、みんなが同じ方向を向くとすごい力を発揮するんですけど、違う方向へ向いてしまうことも多々あったんです。そんな状況でも勝ってはいたんですが、あまりいいゲームはできなかったのかなと思います。

――接戦になってしまったときや、負けた仙台戦のときも?

小淵 そう思いますね。

――そんなときに、どうにかしようと思ったことはあったのですか。

小淵 例年通り、思ったことを言うのが自分の仕事だと思っていたのですが、今シーズンのチームは逆に言ってしまうとよくないなと感じていたところがありました。シーズン途中からは、思ったことを全部言うんじゃなくて、伝えなきゃいけないことだけを伝えるようにしていました。後は何もしていないです。
 上のカテゴリーから来て、プライドを持った選手がたくさんいたので、そのプライドを曲げないようにしなきゃいけないというのが今シーズン。平岡さんにとっても特にそこが重要だったんじゃないかと思います。

――そういえば、例年の練習では、平岡HCの大きな声が体育館に響き渡っていましたが、今シーズンはそれがなく、静かに練習を見守っていたのが不思議な感じでした。

小淵 それが今年のチームを象徴していると思うんです。

――チームをまとめるのは難しかったシーズンでしたか。

小淵 難しかったですね。

相手の激しいディフェンスをかわしチャンスを作る(2021年5月22日、茨城ロボッツ戦)

平岡HCがいたから
サンダーズに残った

――毎年、故障を抱えながらプレーしていましたが、今シーズンは例年に比べ、体の状態はどうだったのですか。

小淵 毎年、痛いところがあっても、我慢してやればできたんです。それにいろんな人たちがサポートをしてくれました。ただ今シーズンのチームは、例えばディフェンスで言えば、自分のマークマンは自分で守ろうよというスタンスが強かったんです。試合を休ませてもらったりしましたが、出たときはしっかりできなきゃいけない状態に持っていかなければならなかったので、そこが例年に比べて大変でしたね。怪我よりも精神的な方が大変でした。
 毎年、チームで戦っていく感じだったで、今シーズンも最初のほうはそんな感じで、「今年も怪我を抱えながらでもやれるのかな」と思っていたんです。一回、怪我で休んで、復帰したときには、さっき言った通り、「自分のマークマンは自分で守る」というバスケットになっていて、「これだったら、自分はついていけない」と思いました。

――そんな中で、試合に復帰するために、特別にしていたことはあったのですか。

小淵 特別なことはしていなかったですが、怪我で休んだりして自分の体が動かなくなって、どうにかしなきゃいけないと思ったときに、ワラさん(藤原隆充アシスタントコーチ)にトレーニングを、キンちゃん(當銘勤次郎アシスタントコーチ)にバスケットのワークアウトを頼んで、個別でやらせてもらいました。痛い部分を悪化させないように気を使っていただいて、動きやスピード、パワーが落ちていたので、それを上げてもらうためにやっていました。それが自分にとってはすごくプラスになったので、彼等には本当に感謝しかないです。

――今シーズンは、体のどの部分を痛めていたのですか。

小淵 4月10日の福島戦でねん挫したのが結構ひどくて、なかなか思うようによくなりませんでした。1月23日のアウェイ福岡戦の前日の練習でも、福島のときとは反対の足首をねん挫して、だいぶ休ませてもらったんです。今シーズンを振り返ると、そういったちょっとした怪我が多かったですね。シーズン序盤も左膝の状態がよくなかったり。そこが悪化すると、今度は腰が痛くなってという悪循環が今シーズンは多かったですね。

――ちょっとした怪我が多かった中で、プレーオフに合わせてコンディションをベストな状態に近づけていったのですね。

小淵 そうですね。怪我をして休んでいるときには不安で、いつバスケットができる状態になるのかなと思っていました。プレーオフのときはやるしかなかったですし、最後に悔いは残したくなかった。チームに迷惑が掛からないことが一番でしたけど。

――痛み止めを打って、プレーしていたということですが。

小淵 痛み止めを打つと1週間ぐらいは効くんです。プレーオフ中は毎週、痛み止めを打っていましたね。痛み止めの効果がなくなると、プレーできる状態ではなかったので、ごまかしながらでしたけど。

流れの悪い中でもプレーでチームを鼓舞(2021年5月23日、茨城ロボッツ戦)

――今シーズンは、試合の流れが悪くなると、小淵さんが試合を落ち着かせるという役割でした。

小淵 それが理想ですが、なかなかうまくはいかなかったですね。頭の中ではこうプレーしたいけど、体がついてこないことが多く、自分の中で葛藤ばかりでした。

――Bリーグ初年度に、代々木第二体育館で行われたプレーオフ3位決定戦で敗れた後の記者会見で引退宣言をしてから、毎年のように引退を口にしていました。今回も引退を撤回するのではないかと、ちょっと期待しています。

小淵 それは全くないですね。区切りがつきました。

――bjリーグ時代に、チームの成績が低迷し、シーズン途中でヘッドコーチが交代するなど、経営面も含めてきつい状況がありましたが、その中でも、チームを見捨てずにサンダーズに残って、群馬のために力を尽くしてくれましたね。

小淵 いや、それは逆です。本当に逆です。なかなか成績が出ないのに、毎年契約を続けてくださった球団に対してありがたく思っていますし、感謝しかないです。

――8シーズンの中で、他クラブに移籍をするという選択肢もあったのではないですか。

小淵 一回、迷ったこともありました。本当に一回。魅力的なオファーがあって、でも平岡さんがいてくれたので、何とか残ることができました。

――Bリーグ初年度に、平岡さんがヘッドコーチに就任されましたが、平岡HCの下でバスケットがやりたいと思ったのですね。

小淵 平岡さんがこのチームに来る前は、平岡さんのバスケットを知らなかったんです。イメージ的には、ベンチに戻ってきた選手に怒っているイメージがあったので、怖い人なんじゃないかと思っていたんです(笑)。平岡さんと一緒にバスケットができて、平岡さんのバスケットを学んで、平岡さんの下で現役を終えることができて、本当にありがたいし、すごくいい経験でした。

――そこまで小淵さんに言わせる平岡HCのバスケットの魅力は何でしょう。

小淵 皆さんはディフェンスだと思うかもしれないですが、僕は「やらせることができる」ところだと思います。一つのルーズボールに対してあきらめている選手がいたら、それをあきらめさせないようにする厳しさはすごく大事ですし、特に、勝負どころで何が勝敗を分けるのかと言ったら、そういうところが大きいと思うんです。それがあったからこその、今シーズンの結果なんじゃないですかね。

B2優勝のセレモニーで喜びを爆発させた選手とスタッフ(2021年5月24日、茨城ロボッツ戦)

――これまで三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ(当時JBL)、琉球ゴールデンキングス、大阪エヴェッサ(以上、当時bjリーグ)でもプレーしましたが、地元のチームであるサンダーズに特別な思いはありますか。

小淵 キャリアの中の8年間で、そのキャリアの中盤から最後にかけてプレーさせてもらった地元の球団なので、もちろん愛着はありますし、なんて言うんですかね……、一番好きなチームですよね。

子どもたちにバスケを教え
その成長を見るのが夢

――チーム創設時からサンダーズに在籍した桐生市出身の岡田慎吾さん(今季まで三遠ネオフェニックスでプレー。小淵選手とはサンダーズで2013-14シーズンに一緒にプレー。生年月日も小淵選手と同じ)に、引退の報告はしたのですか。

小淵 まだシーズンが終わってから連絡を取っていないんです。毎年、「シーズンお疲れ様」って感じで連絡しているので、自分から「引退するよ」というより、聞かれたら言うのかな……。それより、慎吾がまだバスケットをやるのかが気になります。すごく思うのは、このチームがB1に行くのに、群馬出身選手がいなくなっちゃうから、それだったら群馬に戻ってきてくれないかなと思っちゃいますよね。

――今でも互いに気になる存在なんですね。

小淵 なってましたね。僕、結構、人見知りで、密に連絡を
取ったり、話をしたりをあまりしないので、シーズン中に慎吾に連絡をしなかったんです。でも、慎吾が怪我をするとすごく心配でした。この先、現役を続けるのかなと気になりますし、ちょっと落ち着いたら連絡をしていろいろ話したいと思います。慎吾とは1年しか一緒にプレーしませんでしたが、もうちょっと長く一緒にやりたかったですね。

――小淵さんがチームに加入した当時から比べると、今シーズンのファイナル第3戦では、コロナ禍にもかかわらず、1900人を超える人たちが試合を見に来てくれました。ファンもだいぶ増えましたね。

小淵 ファンの皆さんには感謝しかないです。昔からずっとサンダーズを応援してくれている方に対しては余計ですよね。強くない時期があったけれど、ずっと応援してくれていたので。

――次の舞台はもう決まっていますか。

小淵 自分の中で毎シーズン、「引退したら何をしたいんだろう」って考えるんです。僕はこれまで普通に働いたことがないので、できることがあれば何でもやらせていただきたいです。最近は、社会人として仕事を持って、空いている時間に子どもたちにバスケットを教えて、その成長を見られたらいいな、それが理想かなと思っているんです。それが実現できたらベストだと思いますね。

<了>

■profile
小淵 雅(おぶち・まさし)
1983年9月12日生まれ、群馬県出身、身長182㎝、大泉北小~大泉北中~太田工業高~専修大~三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ(2006-09)~琉球ゴールデンキングス(2009-10)~大阪エヴェッサ(2010-13)~群馬クレインサンダーズ(2013-21)。中学時代に群馬県選抜に選ばれ、ジュニアオールスターに出場。高校での厳しい練習を経て、大学時代にはインカレ(全国大会)の他、関東リーグとトーナメントで優勝を経験し、プロバスケット選手となるチャンスを切り開いた。三菱電機で3シーズンプレーした後に渡米した経験を持つ。2021年6月13日に、クラブから小淵雅選手の現役引退が正式に発表された。