ザスパクサツ群馬
渡辺 広大
高校時代の恩師である布啓一郎監督に「恩返しがしたい」という思いでプレーした2019シーズンの最終戦で、自らのゴールでJ2昇格を決めた渡辺広大選手。ザスパで過ごした4年間は、ザスパを「俺のクラブだ、私のクラブだ」と群馬県民から思ってもらえるようなクラブになるために力を尽くした日々でもあった。今季でチームを離れる渡辺選手に4年間を振り返ってもらった。
取材/星野志保(EIKAN GUNMA編集部)
高校時代に1年だけ一緒にやっただけの縁で
僕をチームに入れてくれた布監督に恩返ししたい
――2019シーズン、当時J3だったザスパに加入してから4シーズンをここで過ごし、J2昇格に貢献するなど、ザスパのために尽力されてきました。渡辺選手と言えば、仙台時代のイメージが強いですが、ザスパ加入の経緯について改めて教えていただけますか。
渡辺 当時、2019シーズンもレノファ山口FCでプレーするつもりでいたんです。1月に入って山口にいることができないとなったときに「マズイ」と焦りました。その時32歳で、まだまだ体も動くので、他チームでサッカーをやりたいと思ったんです。ただ、もうどのチームの編成が終わっていて、移籍先も見つからない状態でした。
そんな中で、仙台で一緒にプレーしていた、当時ザスパのGKコーチだったシュナイダー潤之介さんと2018シーズンの夏に会ったときに「お前みたいな選手が群馬にほしいよ」と言ってもらっていたことを思い出して、慌ててシュナさんに電話をしたら、「監督の布(啓一郎)さんと当時の強化本部長の飯田(正吾)さんに話してみるよ」と言ってもらえたんですが、ザスパも編成がほぼ終わっていて、「広大、ごめんな」と言われました。その後、僕と僕の代理人が直接、布さんに電話して、ザスパに拾ってもらったんです。
――当時、渡辺選手の加入の発表が一番遅かったのを覚えています。
渡辺 それは狙ったわけじゃなく、ぎりぎりセーフという感じだったんです。当時のザスパには、山形で一緒にプレーしていた舩津徹也がいて、彼に連絡する時間もなくリリースが出たので、「聞いてないけど」って舩津から言われたほどでした(笑)。
そういう流れもあって、このクラブで何かを残さなきゃいけないし、布さんとは高校時代に1年しか一緒にやっていないにもかかわらず、それだけの縁で僕を拾ってくれたことに対する「恩返しをしなきゃ」という思いが強かったので、その年にJ2に昇格できて本当によかったと思っています。
――ザスパ加入1年目の2019シーズンはどんな思い出がありますか。
渡辺 2019年は、大卒の子がたくさん入ってきて、舩津ら5人を残してガラリとメンバーが変わった年でもあり、「最初はそんなにうまくいかないだろうな」と思っていました。やはり最初は勝てなくて、それでサポーターからブーイングをされて、「もう、ブーイングされるんだ。厳しいクラブに来たな」と思ったことを覚えています。
そんな時に、ベテランとまではいかないけれど、このクラブで年齢が上だった佐藤祥たちと「夏になったら勝てるようになるから、最初は何とか勝ち点を積み上げよう」という話をしていました。大卒の選手がどんどん頭角を現して結果を残してくれたので、僕もみんなのおかげでやってこられたという印象があります。
――そういえば、2019年シーズンにサポーターと言い合いをしたこともありましたね。
渡辺 表現が正しいかどうか分かりませんが、当時はみんながギラついていた感じがしました。そういうクラブって絶対に勝てないんですよ。よく「一体感」という言葉を耳にしますが、それは現場だけじゃなく、サポーター、クラブスタッフ、すべてが同じベクトルを持っていないと昇格は絶対に無理だと思っていたので、そこを何とかして変えたいなと思っていました。
――渡辺選手たちの努力のおかげで、クラブとファンの間にあった距離もだんだんと縮まっていったように思います。
渡辺 それは結果が出ていたということもあったと思います。結果が出れば、みんな、笑顔になってくれますから。でもそれだけじゃないと思うんですよね。同じクラブのために戦っているんだから…。シーズン終盤は、サポーターのみんながようやく僕たちに心を開いてくれるようになって、「みんな、温かいな。いいな」「これだよ、この雰囲気だよ」って思いながら戦っていました。
――サポーターが心を開いてくれたきっかけは、何かあったのですか。
渡辺 夏ぐらいに、讃岐、ホーム戦の長野を挟み、相模原、FC東京U-23とアウェイ戦が続いたときがあって、結構、しんどい中で戦って勝ったりしていたんです。群馬から遠いアウェイまで応援に来てくれて、試合に勝った喜びを分かち合えたのが本当に嬉しくて、「今年は本当にJ2昇格を狙えるところにいるな」と思えました。
コロナ禍での難しい状況を乗り切った2020年
監督の途中解任の中でも、残留を確信した2021年
――2020シーズンは、新型コロナウイルス感染症が拡大した影響で、試合の延期、無観客試合とこれまで経験したことのない災難に見舞われた年でした。
渡辺 大変でしたね、連戦連戦(※1)で。僕もケガをしたりしてコンディションが上がらなかったんです。キャプテンを任されていましたが、自分の中で納得のいくパフォーマンスを出せなくて、非常にもどかしいシーズンでした。
※1 2月23日の開幕戦後に新型コロナウイルス感染拡大のためリーグ戦は中止になり、再開されたのが6月27日となった。中止になった試合を消化するために水曜開催の試合が多くなりシーズンを通して連戦が続いた。
――その状況から抜け出すためにしたことはあったのですか。
渡辺 何かをしようとは思っていなかったですけど、「キャプテンだから、しっかりやらなきゃ」と考えすぎちゃった部分もあったのかな。今、思えば、それが逆に良くなかったのかなと思います。サッカーを本気で楽しめたのかなと考えると、他のところにストレスを感じていたり、サッカーとは別のところに意識が向かっていたのかもしれません。そこが反省点ですね。
――具体的に感じていたストレスとは?
渡辺 もちろんコロナもそうですけど、一番は視野を広げすぎちゃったことです。いろんなことを見すぎて、一番サッカーに集中しなければいけないのに、サッカーに100%の状態で臨めなかった。あとはケガのストレスも大きかったですね。
――サポーターを大切にしている渡辺選手ですが、いつもスタジアムで大声で応援してくれるサポーターの声が聞けなくなってしまったことと、彼らとコミュニケーションが取れなくなったことは寂しかったのではないですか。
渡辺 寂しかったですね。せっかく2019年シーズンにサポーターとの間で見えてきたものが…というのもあって…。それに僕自身、十数年間、声援ありの中でサッカーをやってきたので、違和感しかなかったです。この状態をJリーグと呼んでいいのだろうかという感覚もありました。
――2020シーズンもJ2に踏みとどまりましたね。
渡辺 この年はJリーグで名前の通っている選手たちも入ってきました。例えば、大前元紀、岩上祐三、宮阪政樹。最初、彼らが入ってきてチームはどうなるんだろうなと思ったのですが、自己中心的な選手は1人もいなくて、逆に良い雰囲気でやれたのでとても楽しかったですね。それに、J1に羽ばたいていった若い選手たちもいたので、そう考えると刺激もあったシーズンでしたね。
――2021シーズンは、奥野僚佑監督が途中解任されるというクラブ史上初の事態になり、厳しいシーズンとなりました。
渡辺 これまでクラブの歴史として上位争いというよりは、毎年残留争いからなかなか抜け出せずにいるクラブではあります。このシーズンは4チームがJ3に落ちて、ザスパは下から5番目の成績でした。
――監督交代があり、選手にとっても難しいシーズンだったのではないですか。
渡辺 サッカーって難しいんですよ。一生懸命にやっているつもりでも、それが11人になったらちょっとずつズレているという感じ。強いチームは自然とまとまるんですけど、勝てなかったり調子が悪かったりするチームだと歯車が狂ってしまう。
2021シーズンは、シーズン前のキャンプの練習試合ではすごく調子がよくて、「今年ちょっといいかも」という感覚だったんですけど、いざシーズンに入るとそんなことはなかった。そんな状況でもチームワークはすごくよくて、皆、仲が良かったんです。数字上は今シーズンよりも厳しい状況だったんですけど、「(J3に)落ちるな、落ちそうだな」という感覚はなくて、「このままやっていけば絶対にJ2に残れる」という感覚だったので、ネガティブなシーズンではなかったと思います。
――監督の途中交代は、選手にとってはどんな影響がありましたか。
渡辺 なかなか勝てなくて、結果として奥野さんが責任を取る形にしてしまった。自分たちも良くなかったし、「監督のためにやらなきゃ」というプレッシャーが逆にチームのためになっていなかった感じがしていました。もうちょっと自分のエゴを出したり、自分のプレーをした方がよかったんじゃないかという気がします。
――確かに、当時、「奥野さんのため」という言葉が選手から出ていたのは気になっていました。
渡辺 みんなが何かの呪いにかかったような感じでした。もちろん、奥野さんは人間的に素晴らしい人です。だけど、あの時はチーム全体が上手くいかなかった。監督がキヨさん(久藤清一さん)になって、その呪いからちょっと解放された部分があり、みんなから少しずつ躍動感が出るようになりました。
これまでの自分のキャリアの中であんな形でチームを去る監督は見たことがありませんでした。奥野さんは、全員とコミュニケーションをとってくれましたし、最後、チームを離れることになってもしっかりと僕たちに挨拶をしてくれました。キヨさんが監督になっても、やっていたことは奥野さんと大きく変わらなかったので、チームとして戸惑うことなく前に進めたと思います。奥野さんがチームを離れることになったのは僕たちのせいだから、「奥野さんのためにも残留しよう」という思いは逆に強くなりましたね。
――そうした思いが、チームを一つにまとめたのですね。
渡辺 そうですね。それに、当時はコロナの感染者が結構出てしまったことで、逆にぎゅっとチームワークが良くなったという感覚もありました。ピンチのときにチームが一番まとまるのかなって。本当はそれではいけないんでしょうけど、こういうクラブって何かきっかけがあった方がまとまるんですよね。そういうことがあって、シーズン終盤に勝ち点を伸ばせたのかなと思います。
たとえ試合に出られなくても
練習で声を出して明るい雰囲気を演出
――今シーズンは、大槻毅さんを新監督に迎えました。ザスパのサッカーはどう変わりましたか。
渡辺 より激しくなりましたね。「このポジションの選手はこういったプレーをして欲しい」と、求められることも明確になって、それが序盤戦はハマりました。そのとき僕はメンバーに入れなかったのですが、「この結果だったら、しょうがないな」って思えるほど、「今年は違うな、やるな」という感覚でした。やっぱり試合に出られないと悔しいですが、あのパフォーマンスをされたら、もう仕方ないと思える出来だったと思います。
夏になるとだんだんと勝てなくなり、普段、試合に出ていない選手がピッチに立って、「何ができるのか」とチームは負の雰囲気に取り込まれていきました。試合に出ていないときに、外から「ああしろ、こうしろ」と思って見ていても、いざ自分がピッチに立ってみると、それができないほどチームの状態は想像以上に良くありませんでした。
夏に入ってきた新加入の4選手が、キャンプでやらなかったことをチームに色付けしてくれて、それでちょっとずつチームが前を向けるようになったことで右肩上がりにチームの状態は良くなっていきました。それは、元からいた選手が悪かったというのではなくて、新しい選手たちが新しい風を吹き込んでくれたことで、チームの空気が循環したのかなと思いました。
――渡辺選手自身、試合に出られないもどかしさがあったのではないですか。
渡辺 もちろんです。コンディションも悪くなかったので、いつチャンスが来てもいいように準備はしていました。だからこそ夏にケガをしたときは、本当につらかったですね。(トレーニング中の)左膝内側側副靭帯損傷で全治3カ月。シーズン中の復帰にはギリギリ間に合いませんでした。
キャプテンのハジ(細貝萌選手)は今年3月に足首をケガして、痛みがある中でもピッチ内ですごく頑張ってくれて、選手たちを背中で引っ張っていってくれました。その分、副キャプテンの僕は、声を出してチームの雰囲気を明るくすることに徹していましたが、僕がケガをしてしまったことで、ピッチの中や練習での負担をすべてをハジに背負わせてしまい、本当に申し訳なかったです。
――キャプテンの細貝選手、副キャプテンの渡辺選手と岩上祐三選手が中心となってチームをまとめられていたかと思いますが、この3人の中で役割分担はあったのですか。
渡辺 3人の中で明確に「誰が何をする」というものはありませんでしたが、それぞれのキャラクターで自然に分担されていた感覚ですね。ハジは、見ての通りのファイターなので「俺についてこい」っていうのをプレーで示してくれる。練習になると僕が声を出してチームの雰囲気を盛り上げるというバランスでやっていたので、自分でもそれが結構よかったのかなと思います。僕はピッチに立つ時間が短かったので、やれることは「チームを盛り上げることしかないな」って思ったんです。祐三も今年は試合に出たり出なかったりで、メンタル的に難しい部分もあったと思うので、やっぱり僕の仕事はチームの雰囲気を盛り上げることかなと思ってやっていたんです。
僕はチームのためを思ってやってるんですけど、結局それが自分のためにもなると思うんですよね。ベテランの僕のこういった姿を見て、「もっとサッカーが上手くなりたい」「もっと試合に出るためにアピールしなければ」ということが若い選手たちに伝われば、それがチームのためになると思ったんです。言ってみればみんな個人事業主だし、一人のサッカー選手なので自分のことだけ考えていても仕方ないんですけど、サッカーはチームスポーツなのでみんながその思いでいれば、もっといい集団になれると思うんですよ。最近は、それができる選手が少なくなったなぁと感じます。メンバーに入れなかったり試合に出られないと、不貞腐れて、プレーも投げやりになったりする選手もいる。そんなのただ損をしているだけだと思うんですよね。チームにとっても良くないことです。試合に出られなくても頑張っている姿を僕が見せることで、若い選手たちの意識を変えられたらいいなと思ってやっていました。
――2019シーズンのインタビューで、「キャリアも晩年を迎え、どこかで『プロ選手の終わり方』を考えてしまうこともあった。しかし、山口の霜田正浩監督(当時)と坪井慶介の2人の存在が刺激を与えてくれた」と語っていましたが、これまでのキャリアの中で彼らが渡辺選手に与えた影響は大きかったですか。
渡辺 霜田さんが山口の監督に就任して、坪井さんが加入してきた2018シーズンの練習はとてもきつかったし、40歳になっても手を抜かずに全力で取り組む坪井さんの姿勢が素晴らしく、彼らに出会えたことでまた自分が進化できたと思っています。
あとは、2019年に群馬に来て、布さんが腕組みして練習を見ている姿を見たとき、僕はスイッチが入りましたね(笑)。
――高校時代を思い出す?
渡辺 ザスパで僕だけ、「鉄拳が飛んでくるんじゃないか」ってビクビクしてプレーしていました(笑)。
――昔はそんな時代でしたね。今は違いますが。
渡辺 今じゃ、考えられないですけどね。(笑)でも、布さんって、本当に人間味あふれる良い人なんです。だからこそ、あの人の周りからは人が離れていかないんだろうなと思います。
――4年間、ザスパに在籍しましたが、一番思い出に残っていることはなんでしょう。
渡辺 2019年シーズンにJ2に昇格(復帰)した年ですね。昇格が決まるアウェイでの福島との(12月8日の)最終戦で、僕がたまたますごいゴールを決めることができてJ2昇格を達成したことです(※2)。先日、ファン感謝祭をやらせてもらったときに、そのことを覚えてくれているサポーターがとても多くて嬉しくなりました。今は、その当時のことを知っている選手がほとんどいないのはすごく寂しいですね。「僕のゴールを覚えていて欲しい」というのではないですが、あの時のサポーターとの一体感とか、雰囲気は言葉に言い表せません。(2019年12月1日の)いわてグルージャ盛岡(岩手)とのホーム最終戦では、J3だとバックスタンドを開放していないにもかかわらず、ゴール裏とメインスタンドだけでスタジアムに5881人の観客が入ってくれて、異様な雰囲気というか心の底から奮い立つというか、そういう環境でやれたので、もう一度、「あの時のザスパを取り戻したい」と思いました。今年もJ2残留がかかる大事な試合となったホーム最終戦の岩手戦が(J2でバックスタンドを開放しているのにもかかわらず)5807人だったのはちょっと残念でした。J3のときの昇格争いと、J2での残留争いでは、置かれている状況は全く違いますが、大事な一戦には変わりないので、もっともっと群馬の人たちに興味や関心を持ってもらうことはできなかったのかな…と思うと残念です。
※2 2019年12月8日のアウェイでの福島ユナイテッドFC戦で、48分に姫野宥弥選手からの右FKに合わせた渡辺選手が見事なジャンピングボレーシュートを決め、先制点を奪った。55分には高澤優也が2点目を決め、84分には福島に1点を奪われるものの、ザスパは2-1で勝利し、福島まで駆け付けた多くのサポーターと共にJ2昇格を喜び合った。
――今年限りでザスパを去ることになったのは心残りですね。
渡辺 来年には、ザスパの練習場とクラブハウスができるので、そこでプレーしたかったというのもありますし、このクラブがどうなっていくのかをもっと見てみたかったですね。
――現役は続けられますか。
渡辺 そのつもりでいます。こればかりは僕が望んでもどうなるかは分からないので、まずは吉報を待っています。
――最後に、渡辺さんを応援し続けてくれたサポーターへメッセージをお願いします。
渡辺 ザスパのような地方クラブはサポーターのためのクラブでもあるので、どうかザスパを愛してもらって、心の底から応援してください。そうしてもらえると選手は奮い立つので、あまり言い過ぎずに温かく見守ってほしいなと思います。問題が山積しているクラブですが、みんなで成長していって、「俺のチームだ、私のチームだ」と群馬県の人たちが思えるような温かいクラブを作ってもらえたら嬉しいです。
――そのために、4年間、渡辺選手は力を尽くしてきました。
渡辺 何年後かに、「ザスパにあんなやつがいたな」って思い出してもらえるだけで十分幸せです。
<了>
■プロフィール
渡辺広大(わたなべ・こうだい)
1986年12月4日生まれ、千葉県出身。市立船橋高校を卒業後、2005年にベガルタ仙台、15年にモンテディオ山形に、17年にレノファ山口に移籍した。19年にザスパクサツ群馬に期限付き移籍し、翌年完全移籍。声とプレーでチームを引っ張り、19年のザスパJ2復帰の立役者となった。