サッカー人生の新たなスタート。細貝萌の挑戦は続く

ザスパクサツ群馬
細貝 萌

9月25日のジェフユナイテッド千葉戦で、会場に詰めかけた多くのザスパサポーターに挨拶をする細貝萌選手。チームの目標である勝ち点50を達成するためにも、細貝選手の加入はザスパにとって心強いものだ(2021年9月25日、正田醤油スタジアム群馬)
©THESPA

細貝萌のザスパクサツ加入のニュースは衝撃的だった。浦和レッズ、柏レイソル、日本代表とエリート街道を歩んできた前橋市出身の細貝が、故郷のチームに加入したのである。長年にわたり群馬のサッカーを取材しているサッカーライターの安藤隆人が、細貝のザスパ移籍への真相に迫った。
取材/安藤隆人 写真提供/ザスパクサツ群馬

 2021年9月23日、元日本代表MF細貝萌のザスパクサツ群馬入りが発表された。
 細貝は群馬県前橋市出身。FC前橋ジュニアユースから前橋育英高を経て、2005年に浦和レッズに加入すると、そこからJリーグ、世界へと羽ばたいていった。地元出身の偉大な選手が約16年半の時を経て、群馬に凱旋とあって、このニュースは群馬県民にとってはもちろん、サッカーファンにとっても大きな話題となった。
 「ずっと僕の心の中にあった1つのクラブ。正直、海外でプレーをするか、日本に戻るかで迷っていたのですが、最後は地元に帰ってプレーしたいと思って決断しました」
 加入会見でこう語った細貝にとって、この決断は簡単なことではなかった。周りからすると『凱旋(がいせん)』だが、単独インタビューで彼の心境を探ってみると、彼とっては地元に帰ってきたという感覚よりも、これから始まる新たなサッカー人生への挑戦の第一歩という感覚の方が強かった。
 その真意に迫る前にまず彼は自身が歩んできたキャリアをこう振り返った。
 「若い時はずっと『ヨーロッパに行きたい』と思っていた。それにヨーロッパでもベルギーとかオランダじゃなくて、ドイツなど4大リーグに行きたいと。とにかくサッカーで這い上がるという感じでした」
 プロ7年目を迎える2011年に6年間プレーした浦和から、ドイツの名門クラブであるバイエルー・レバークーゼンに完全移籍。FCアウクスブルク、ヘルタ・ベルリン、トルコのブルサスポル、再びドイツのVfBシュツットガルトとヨーロッパで6シーズンを過ごした後、柏レイソルに移籍をして一度は日本復帰をしている。
 だが、彼はその2年後に再び海外に渡る決断を下した。しかもその先はヨーロッパではなく、東南アジアのタイだった。
 「柏では出番が得られなかったり、コンディションを崩したり、サッカー選手としてうまくいかないところもあった。ピッチ上での他者評価だけでなく、自己評価も上がらない状態で、『このタイミングでもう一度環境を変えるべきなんじゃないか』と思ったんです。しかも、国内ではなく、別の国へ。J1の他のクラブからオファーを複数もらっていたのですが、タイからオファーがあったときに、もう一度違う国へ行って、日本語が通じない環境でプレーと生活をすることで、人間性の部分もより成長できるし、サッカー選手としてもう一度ピッチ上で自分を示したいと思った」
 決断は早かった。当然、ヨーロッパではなく、Jリーグよりもレベルは劣るタイリーグの移籍は、周りからするとある種の『都落ち』のように映るかもしれない。それは細貝自身も覚悟の上だった。
 「この環境に飛び込むことで当然メディアの注目度も下がるし、『細貝、終わったね』と言われるのは間違いない。でも、それを言われたところで僕の人生なので、言ってもらって全然構わないし、僕は行くことに未来を感じたんです。新しい国、リーグでプレーする価値。それはヨーロッパに行ったことでいろいろ実感できたし、実際に行ってみないと分からないことばかりなんです。あくまで周りの注目度よりも自分の充実度が重要だと捉えているので、迷うことなく決めました」
 タイでの2年間は彼が望んだ通り、刺激に満ちあふれたものだった。世界的に猛威を奮っている新型コロナウィルス感染症の影響でロックダウンやリーグの長期中断も経験をしたが、昨シーズンはバンコク・ユナイテッドの主軸としてフル稼働。「サッカー選手として日本やヨーロッパにいた時よりも充実感がありました」と彼にとって大きなシーズンとなった。
 ここから今回の群馬移籍への真意が明らかになっていく。
 2年目のタイリーグは4月中旬に終了したが、彼の契約期間は5月31日まで残っていた。当初はしばしの休息を取りながら、自分の今後の身の振り方を考え、次なるクラブを決める予定だった。
 しかし、結果的に次なるクラブが決まったのは9月。では、この約5カ月もの間、彼は何をしていたのかという疑問が浮かぶ。その問いに対し、細貝はこう語り始めた。
 「自分をもう一度見つめ直すというか、少し休息を取る期間だと思ったんです。ありがたいことにバンコク・ユナイテッドからは契約延長のオファーがありましたし、他のタイリーグのクラブからも熱烈なラブコールをいただいたり、タイ以外の国からのオファーもありました。まずその中でタイを離れることは決めていたので、それ以外の選択肢を模索していました。当然、その中には故郷のクラブであるザスパクサツ群馬への思いもあって、自分から代理人にお願いをして群馬とのコンタクトも取ってもらいました」
 タイ以外の国へチャレンジするのか、日本に戻ってプレーをするのか。これまでの移籍と比べて、答えを出すのは簡単ではなかった。自身のサッカー選手としてのキャリアも終盤を迎えていることも理解していたからこそ、「慎重に決めようと。焦って答えを出すのも違うと思った」と5月末を迎え、契約フリーの状態になっても彼は決断を急ごうとはしなかった。
 「これは一度サッカーから離れて、いろんな景色を見ながら時間を過ごすのもありなんじゃないか」
 そう考えた細貝は体力維持のトレーニングは続けたが、どこのクラブにも所属することなく、しばらくタイ国内で自分と家族との時間を過ごした。
 「サッカー選手になってこんなに長い時間サッカーをしなかったことは初めてだったし、フリーになったこともなかった。いろんな初めての経験の中で人生としての充実度は高かった。将来こうなるために今から何をすべきかなど、本当にいろいろ考えました」
その中でプロサッカー選手を続ける意思は変わらなかった。
 「家族や代理人、周りの人たちには『この時間は今後サッカー選手として、これからしっかりとやるために必要な時間だから』と伝えました。もう一度サッカー選手としてチャレンジするための時間と信じてサッカーから離れました」
 その過程で当然、自身に対するオファーの数は減っていった。だが、それでも彼の獲得を望む声は残り、その中の1つに群馬もあった。月日は7月になると細貝は日本に一度戻る決断を下し、月末に帰国。隔離期間を経て、本格的に次のクラブを決める意思を固めた。
 「もう一度別の国に行くか、日本のクラブでプレーをするか。そう考えたときに『もしここで群馬のオファーを断ってしまったら……』という気持ちが頭をよぎったんです。故郷のクラブにオファーをもらえて、松本大樹強化本部長をはじめとして『ぜひ来て欲しい』という気持ちがヒシヒシと伝わった。よく考えたら断る理由なんて1つもなかったんです。自分のプロサッカー選手としての今後のストーリーは群馬でこそ描けると思ったんです」

正田醤油スタジアム群馬で、森統則社長(左)、松本大樹 強化本部長と記念撮影をする細貝選手
©THESPA

 考えがまとまった細貝は松本強化本部長にその意思を伝え、冒頭の発表に至った。だが、彼は今、群馬の一員として試合で躍動をしているかと言うとそうではない。
 「しばらく休んでいたデメリットもたくさんあって、今いざチームに合流してもコンディションがなかなか上がらない。1から体を作っていかないといけない。でも、そのデメリットは承知の上。休んだことを後悔していないし、あの時間があったからこそ、今こうしてもう一度プロサッカー選手としてのチャレンジをすることができている。もちろん1試合でも早く試合に絡んでプレーをしたい。でも急いでしまって、結果的にチームに迷惑をかけることだけは避けたい。しっかりと準備をして、しかるべきタイミングがきたらピッチでチームに貢献したい」
 別メニューでコンディションを上げていく中で、積極的にチームメートとのコミュニケーションを重ねている。若い選手が多くいる群馬で、彼の経験値、言葉は大きな影響力と意味を持つことは彼自身がよく理解している。
 「若い選手の成長につながるような接し方はしたいと思っていますし、僕も年下の選手から学ぶべきことも多い。チームの目標である勝ち点50に向かって、チームの一員として自覚を持って前進していく。僕もいつになるかわかりませんが、チームの1つのピースとして目標を越えるためにやっていきたいなと思います」
 細貝萌にとって群馬での日々は、サッカー人生の新たな章のスタートである。もう彼には地元に戻ってきたノスタルジーはない。むしろ自身の人生の選択が正しかったことを証明しないといけないし、何より生まれ育った群馬に恩返しがしたい。引退して凱旋するのではなく、1プレーヤーとして地元のクラブを活気づけることこそが、彼の責務であり、新たなチャレンジであり、かつ自身が望む人生のストーリーなのだから。

ザスパでの試合出場を目指し、チームメートと共にトレーニングに励む
©THESPA

<了>

■Profile
細貝 萌(ほそがい・はじめ)
1986年6月10日、前橋市生まれ。前橋広瀬FC~前橋南FC~FC前橋ジュニアユース~前橋育英高校~浦和レッズ~バイエル・レバークーゼン(ドイツ)~FCアウクスブルク(ドイツ)~バイエル・レバークーゼン~ヘルタ・ベルリン(オランダ)~ブルサスポル(トルコ)~シュトゥットガルト(ドイツ)~柏レイソル~ブリーラム・ユナイテッド(タイ)~バンコク・ユナイテッド(タイ)。高校在学中の2004年に浦和レッズの特別指定選手となり、翌年正式に契約。11年に海外に渡り、ドイツ、トルコ、プレー。17年に柏レイソルに加入し、18年にタイへの移籍を決断。21年9月23日に、故郷のチームであるザスパクサツ群馬への加入が発表された。U-16など各世代別日本代表も経験。11年のAFCアジアカップ2011の韓国代表戦では、代表初得点を挙げた。MF、背番号33、身長177㎝・体重69㎏。