代表入りで感じた世界との差が さらに武蔵を進化させる

プロサッカー選手
鈴木武蔵

綿密な取材と圧倒的なサッカーの知識で、プロのサッカー選手からの信頼も厚いサッカージャーナリストの安藤隆人氏が、2月27日に鈴木武蔵の自伝「ムサシと武蔵」(徳間書店/1650円)を上梓した。
2019年12月22日に群馬県立敷島公園補助陸上競技場で行われたサッカー教室に来ていた鈴木に、当社の記事執筆のために安藤氏がインタビュー。2人は以前からの知り合いだったが、この取材で意気投合し、鈴木の本を出すことが決まった。
取材対象者の心の中を丁寧に描く安藤氏の筆力は圧巻。サッカーファンのみならず、教育者やこれからの時代を背負う子どもたち、ビジネスマンなどにぜひ読んでいただきたい一冊となっている。
ここでは、サッカー教室での取材がもとになった鈴木武蔵の記事をアーカイブとして紹介する。

※2021年4月15日に上記の文を一部変更

2019年2月16日に行われた鳥栖とのJリーグカップグループステージで3-0で勝利し、
チームメートと喜ぶ鈴木武蔵 写真/安藤隆人

2019年シーズン、鈴木武蔵にとって間違いなく飛躍の1年となった。そして同時により高く飛ぶための我慢の1年でもあった-。

文/安藤隆人

 この原稿の中心に触れる前に彼のプロ入り後の歩みを簡単に振り返ってみたい。
 鈴木は2012年に桐生第一からアルビレックス新潟に加入。だが、ここでプロの壁にぶち当たり、15年8月にJ2水戸ホーリーホックに期限付き移籍するも、思うように出番をつかめず、翌16年に新潟に復帰するも、ゴールという結果をなかなか生み出せずに17年8月にJ2・松本山雅FCに期限付き移籍。そこでも苦しんだが、高いポテンシャルを評価され18年にJ1に昇格したV・ファーレン長崎に完全移籍した。
 「高木琢也監督と出会えたことが大きかった」と語るように、かつて『アジアの大砲』という異名を持ち、日本代表ストライカーとして活躍した高木監督からストライカーとしての心構え、ゴールアプローチなど多くのアドバイスを受けた。さらに高木監督は彼に絶大な信頼を寄せて試合に使い続けた。結果、ついに彼はブレイクの時を迎え、この年にキャリアハイとなるリーグ11ゴールをマーク。チームは1年でJ2降格をしてしまったが、その中でこの数字は世間に大きなインパクトを与えた。
 ついに覚醒をしたストライカーに素早く北海道コンサドーレ札幌が動き、昨季完全移籍で加入すると、さらにブレイク。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の下でストライカーとして躍動し、キャリアハイを更新とするリーグ13ゴールをマークし、日本代表にも選出。昨年12月のE-1選手権では初戦の中国戦でA代表初ゴールを挙げた。
 覚醒をしたと言葉で表せば簡単だが、一体何が変化したと言うのか。それを掘り下げると、彼のポテンシャルの高さを再認識できる。長崎でFWとして怯(ひる)まない、シュートを外したりすることに囚(とら)われずに何度も狙い続けるというストライカーとしての極意を高木監督から学んだ。
このブレイクの要因はストライカーとしての経験値とメンタルの向上だけではない。いちばんの大きな変化は、彼特有の身体能力を感覚だけではなく、意図的にコントロールをする術を身につけたことにある。
「身体は変化していると言うか、フィットしてきている印象はあります。トレーナーを変えたのもあるのですが、本当に19年の1年間は出場停止と開幕戦以外は全て90分出て、1週間の筋膜炎の離脱だけでした」
 昨季のプレーで一番の変化は1歩目の動き出しにある。以前は下半身からの動き出しで一歩を踏み出していた。分かりやすく言えば、一歩を踏み出してから身体がついてくるイメージだった。しかし、それでは身体の軸がぶれてファーストタッチに影響が出るし、それを繰り返せば筋肉系の怪我が増える。現に彼を苦しめていたのはこの筋肉系の怪我だった。
 それが昨年からファーストステップで身体全体がついてくるようになった。これによって動き出しの質、ファーストタッチのコントロールが格段に増し、ゴールに直結するプレーがより増えた。それは1試合のシュート本数の向上にも繋がった。
 「新しいトレーニング法にしてから下半身の筋トレは一切やっていません。重要なのはいかに上半身を使って全体の動きをコントロールできるか。足を使って身体を動かすのではなく、身体の動きに足がついていく感覚を磨く。そうすれば下半身の筋力は日々の練習だけで自然とついてくるんです」
 昨季フル稼働できたのはきちんとした裏付けがあった。そして飛躍の裏側には冒頭で触れた通り、同時にストライカーという役割の難しさを痛感する日々があった。それは『A代表における自分』だった。
 待望の初ゴールを挙げることはできたが、A代表のストライカーとして十分に機能できたかというとそうではない。ポストプレーなど札幌とは違う役割を求められることと、代表というプレッシャーは想像以上に難しかった。
 「札幌ではどこからボールが出てくるか分かるけど、代表はいろんな選手から出てくるので、少し混乱するところはありました。あと、やっぱりA代表は親善試合でもプレッシャーが全然違って、『(ゴールを)決めなきゃいけない』という思いが強くなりすぎて、どうしても力んでしまう部分があります。でも、本当はそれではダメなんですよ。その気持ちが良くないことも、何も気にしないのがベストな精神状態なのは頭ではわかっているのですが、どうしてもプレッシャーのかかり方が違うんです」

2020年12月22日に開かれた高校サッカー選手権壮行試合の前座イベントのサッカー教室で、桐生第一の若月大和と共に子どもたちをプレーを楽しんだ鈴木武蔵 撮影/大澤進二

 A代表歴はまだ浅い。でもそれを言い訳にはできず、結果を出せなければ所属クラブ以上に強烈なバッシングを浴びる。札幌でできていることがA代表ではできない。このギャップを感じる1年間でもあった。
 だが、この経験をできるのもほんの一握り。A代表は入りたくて入れるところではなく、ほとんどの選手がそこにたどり着けない。彼は今、かつてJリーガーになってぶつかった壁と同じ苦しみを今、A代表で味わっているが、この壁の先には『世界』という大海原が待っている。それは彼もしっかりと自覚をしている。
「この悩みはプロサッカー選手としてすごく幸せなことだと思います。やっぱりA代表は『特別な場所』。まだどうしてもシュートを打つまでの過程を意識してしまうので、A代表でも札幌と同じように打てるように個人のレベルをもっと上げて、克服していかないといけない壁だと思います」
 もしかすると彼に対して年齢的な指摘をする人がいるかもしれない。もちろん26歳という年齢は決して若い方ではない。だが、高校時代から彼を見ているが、その時から思っていることがある。
 鈴木武蔵は間違いなく晩成型だと。
 高校時代の彼は身体の発育が能力に追いついていない印象だった。筋力で言うと速筋と遅筋のバランスなどが悪くて、あのプレースタイルを続けるならば筋肉系の怪我をして当たり前であった。要は大成するまで時間がかかる選手だった。
だからこそ、彼はまだまだ伸びる。それが証拠に昨年、彼は自分の身体の意図的コントロール能力を磨いてブレイクをした。
 「A代表でプレーして思うのは、やはり海外でプレーする選手は自己主張がしっかりしている。どうしてもJリーグでやっている選手だと、チームプレーあっての自分なので、それがまず差としてある。海外でやっている選手は敵だけではなく、『自分とチームメートとの戦い』がある。いかに自分の主張を伝えて、味方に理解をさせられるか。それがあるからこそ、海外の選手は強いなと代表に行っても感じますね」
 もちろん彼も海外でのプレーを諦めたわけではない。ただ、それを急ぐのではなく、目の前に与えられた使命にしっかりと向き合い、自分がもっと上手くなるための努力を惜しまない。それはずっと変わらない彼のポリシーでもあった。
 「あの時も今も僕は変わらないですね。サッカーが上手くなりたい。正直、今でも『そろそろサッカーをやめないといけないんじゃないかな』と思う時があるんです。妻にも『俺、30歳くらいには引退しているかもしれない』と言うこともある。でも、やっぱりサッカーが好きだし、負けたくないし、1番になりたいから毎日練習に真剣に励むんです。未来のことは計画通りにはいかないからこそ、常に自分への戒めではないですが、客観的な視点として持っています。その先に未来があると思います」
 飛躍と苦悩の矛盾の中で自分を持ち続けることができたのは、心の底から湧き上がる純粋な気持ちがあるからこそ。鈴木武蔵は己の気持ちに正直に2020年も突き進んでいく。

<了>

■Profile
鈴木武蔵(すずき・むさし)
1994年2月11日生まれ、群馬県太田市出身。ジャマイカ人の父と日本人の母を持ち、FCおおたジュニアユースから桐生第一を経て、アルビレックス新潟へ加入。その後、水戸ホーリーホックや松本山雅FC、V・ファーレン長崎、北海道コンサドーレ札幌でプレー。J1でブレイクし、日本代表に選出。2020年8にベルギー1部のKベールスホトVAに完全移籍した。