人生は一度きり。夢の実現のために 安泰より勝負を選んだ

群馬ダイヤモンドペガサス
湯浅翔太

「人生は一度きり」と、勤めていた七十七銀行を辞め、今年から独立リーグの群馬ダイヤモンドペガサスに入団した選手がいる。湯浅翔太だ。そのまま社会人野球でドラフト指名を待つ道もあったが、よりスカウトの目に留まるチャンスが多く、育成枠での指名の可能性もある独立リーグでのプレーを選んだ。プロ野球選手になるという夢のために――。

文・写真/星野志保  取材日/2021年4月5日

七十七銀行を辞め、ペガサス入団を選んだ理由

――2年間所属していた七十七銀行を辞めて、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスに入団しました。社会人でもドラフト指名を受ける可能性があり、たとえ指名されなくても安定した生活が保障されている社会人から、独立リーグへ来たのはなぜですか。

 七十七銀行に入部する際、社会人に入って2年でプロに行くという目標を立てていたんです。社会人2年目の昨年、ちょうど10月の都市対抗野球の二次予選中に左足の内側側副靭帯(ないそくそくふくじんたい)を伸ばしてしまって、それで今年のドラフト指名はもうないなと思い、来年に勝負をかけることにしました。その勝負をかける場所が独立リーグでした。
 独立リーグなら、ドラフトの育成枠でも指名してもらえます。それに独立リーグのほうがスカウトの方に見てもらえる機会も多い。また、社会人だと、大会が近づくと朝から練習をしていますが、基本、午前中は仕事をして午後から練習ですが、独立リーグなら野球一本に集中できる。そういうことも考えて、独立リーグでのプレーを決めました。

――社会人1年目からシュートのレギュラーとして出場してきたので、チームの引き留めもあったのではないですか。

 それはありましたね。小河(義英)監督もいろいろと話をしてくださいました。でも最後は、監督もチームの先輩方も自分の思いを汲んでくださったので、独立リーグへ行く決断ができました。
 とにかく、後悔だけはしたくなかったんです。プロになるという思いでこれまでずっと野球をしてきたので、会社に残って安泰という道もありましたけど、人生はたった一度きり。勝負をかけたいなと思いました。

――NPBに行くという強い思いは、現在、読売ジャイアンツに在籍している弟の湯浅大さん(健大高崎出身)の影響もあるのでは?

 弟の影響は常にありますね。大学4年のときに指名漏れして、社会人に入って2年でNPBに行くという覚悟を決めたのもそうです。

――プロを意識したのはいつから?

 大学3年生のときですね。(千葉県大学野球連盟1部の)春季リーグで、打率3割7分を打ってリーグ2位となり、ベストナインにも選ばれたんです。小河監督からも「プロを目指さないか」と言われました。スカウトの方々が見に来てくださるようになってから、さらに(NPBに)行きたいという気持が強くなりました。

――大学4年のときの成績は?

 はっきり言って、全然ダメでしたね。怪我ではなく、単純に成績を残せなかったんです。バッティングフォームを変えたり、いろいろと試行錯誤しましたけど、思うような結果が出せなくて、「これじゃあ、スカウトの人たちも指名できないな」と思ったりして。NPBの球団から調査書も来ていましたが、ドラフトのときは正直、ダメ元で指名されるのを待っていました。

――何球団から調査書が来ていたのですか。

 巨人と中日の2球団からです。

――大学のときに指名漏れしたときはどんな気持ちだったのでしょうか。

 単純に悔しかったですね。悔しかったですけど、現実を見た気がしました。弟と話をしていて、NPBは簡単に行ける場所ではないとわかっていたのですが、指名漏れして改めて実感しました。大学4年のとき、ドラフト前にもスカウトの方が見に来てくださったのに、そこで思うような結果が残せなかったんです。実力のなさを感じましたね。

――大学を卒業して、七十七銀行(宮城)へ入部を決めたのはなぜ?

 七十七銀行の小河監督が、「ドラフトにかからなかったら、来てほしい」と、プロ待ちをしてくださったんです。なかなかプロ待ちをしてくれる社会人チームはないので、「ドラフトにかからなかったら、ぜひお願いします」とお伝えしていました。

4月5日の福島レッドホープスとのオープン戦で、打撃力でも能力の高さを垣間見せていた

ガッツあふれるプレーが今年のテーマ

――1年目からショートのレギュラーで活躍しましたが、社会人を経験して得たものは何でしょう。

 社会人では、本当に勉強になることばかりでしたね。チームはもちろん、いろんな企業と試合をして、そこで他の選手から走攻守のいろんなことを学びました。自分は調子が悪いときに、視野が狭くなってしまうんです。周りとのコミュニケーションを取ることなど、視野を広くすることの大切さを先輩たちから教えてもらいました。
 バッティングでも、大学時代は3、4番を打たせてもらっていたのですが、そのままのイメージで社会人に入ったら、飛距離や打球の強さが全然違う。大学と同じようにやっていたのでは、全然打てないなと思いました。大学のときは、打球を飛ばすバッティングたったのですが、上に行けばビックリするぐらい飛ばす人はいる。だったら自分は、飛ばすバッターではなく、右中間や左中間といった「間(あいだ)」に強い打球を打って、打率を残せるバッターになることを目指しました。今でもそれに近づこうとしている段階ですが、そこも社会人を経験して変わった部分ではありますね。
 やはり上(NPB)に行くには、スケールの大きさも大事だと思うので、小さくなりすぎず、その中で「間」に強い打球を打って、打率を残していきたいと思っています。
 守備では、一発勝負の中で、一球に対する執着心や一球の大切さを感じられたかなと思っています。

――憧れは、埼玉西武ライオンズの源田壮亮選手と群馬ダイヤモンドペガサスの公式HPのプロフィール欄に書いていましたね。

 まずは守備からリズムを作って、打撃につなげていけたらと思うので、YouTubeでよく源田選手の守備の映像を見ています。あとは(同じ内野手の)弟から、「こうやっている」と情報を教えてもらうので、それを練習に取り入れています。

――例えば、どんなことを?

 守備のときのボールに対しての入り方や、ボールを取るまでの間(ま)、右足の使い方といった一つひとつの細かい動作ですね。そこまで意識し始めたのは社会人に行ってからです。弟の影響もありますけど、いろんな情報や知識が入ってきて、プロは「こんな感じでやっているんだ」という発見は、社会人になってからが多かったですね。
いろんな人に聞けばいろんな意見を聞ける。「こういうのもあるんだ」という発見もあるので、いろんな人とコミュニケーションを取りながら、いろんな知識を吸収できるのが楽しいですね。

――今でも野球選手として成長している実感はありますか。

 特に、守備では成長している実感はありますね。

――走塁も意識していますか。

 50メートル6.0なので、特別に足が速いわけではないですが、その中で補える部分もあるので、スチール(盗塁)を生かした積極的な走塁を心掛けています。これも小河監督から「上に行くには、守備やバッティングのほかに、スチールを中心にした積極的な走塁と状況判断も大事」と言われていたので、意識してやっています。

捕球から一塁送球までの速さが光った。今季のペガサスの守備の核だ

――今年は、群馬ダイヤモンドペガサスでドラフト指名を目指しますが、どうアピールしていこうと思っていますか。

 ドラフトで指名されるには、成績を残すことは絶対条件です。プラスアルファで目を引くようなものが1つないと行ける世界ではないと思っています。自分は、走攻守すべてにおいて平均的なんです。正直、目立っているものがない。守備が一番の売りなんですけど、その中で1つ変わったことをしないと、見ている方も「おおっ」とはなりません。プロに行けば、守備が上手い選手はいくらでもいます。その中で意識しているのが、一球に対する執着心です。守備だったら飛びついてボールを獲る。思いっきりヘッドスライディングして捕球する。そういうガッツのあるプレーを今年のテーマに掲げています。

――社会人を経験したからこそ、そういうことに気づけたのでは?

 それは間違いなくありますね。たった2年間だけでしたが、勉強になることばかりでした。その経験を生かし、独立リーグでは一歩落ち着いて周りを見ながらプレーしたいと思っています。

――社会人から独立リーグに来て、環境の違いに戸惑いはありますか。

 1週間のうちに2~3時間の移動が伴う遠征が何回もあるというのは経験したことがなかったで、先週も移動疲れがありました。早く慣れないといけないですね。

――高校は、プロ選手を多く輩出している埼玉県の花咲徳栄に進みましたが、同級生でプロに入った選手はいますか。

 同級生ではいませんが、先輩や後輩がたくさんプロに行っているので、同じ舞台でプレーしたいなという気持はあります。あとは弟の存在は大きいですね。

――兄弟でもあり、ライバルでもある?

 正直、目指しているプロに先に行かれたので、複雑な思いもありましたが、今は弟が身近な良い存在になっています。仲が良いので、ちょこちょこ連絡を取っていろんな話をしたり聞いたりしています。弟ですが、学ぶことは多いですね。

――今年は勝負の年ですね。

 自分だけじゃなく、独立リーグに送り出してくれた七十七銀行の小河監督やチームメートなどいろんな人の思いもあるので、調子の悪いときや心が折れそうなときでも、応援してくださる人たちを思い浮かべて頑張ろうと思います。プロに入るという勝負をかけて独立リーグに来たので、やり切りたいという思いはありますが、成績を残してプロに行くことが応援してくださる人たちへの一番の恩返しだと思っているので、ガムシャラに、本当にガムシャラにプレーしたいと思っています。

福島との試合後に快く取材に応じてくれた湯浅。さわやかな笑顔が印象的だった

<了>

■Profile
湯浅翔太(ゆあさ・しょうた)

1997年3月3日、群馬県富岡市生まれ。小学校3年のときに丹生ボーイズで野球を始め、中学校では富岡ボーイズでプレー。埼玉の強豪校・花咲徳栄高校から城西国際大(千葉)に進み、卒業後は七十七銀行(宮城)に入部。肩の強さと送球の速さ、守備範囲の広さが特徴。181㎝・80㎏、右投左打、内野手、背番号6。読売ジャイアンツの内野手・湯浅大は実弟。