群馬の高校野球2023夏 太田高校編② 宮下誉生

チームの誰よりも努力したエースが、この夏、チームを勝たせる投球をする!

宮下誉生(みやした・もとき)
3年・投手
2005年4月3日生まれ、太田市立北中学校出身、179㎝・74㎏、右投右打

――昨年の夏からずっと朝練習をしていると聞きましたが、なぜ朝練習を始めたのですか。

 昨年の春は自分がマウンドに上がって逆転を許してしまい自分のせいで負けてしまって、去年の夏は、今度は自分が最後のバッターで打てずに終わってしまったので、悔しい気持ちもありましたが、それ以上に先輩の夏を自分が終わらせてしまった申し訳なさからです。そのために、自分の代になってから「先輩のためにやる1年にしよう」と思ったんです。正直、弱さが出る時もあるんですけど、そんなときは「先輩のためにやろう」と決めたことを思い出し、約1年間、ブレずにやってこられています。

――朝練のルーティンはあるのですか。

 普通に筋トレをして、スローイングとバッティングのドリルをします。自分が一番大事にしているのが、仲間を上手くすることなので、朝練の時に前日の練習や練習試合でうまくいかなかったチームメイトを誘って、その子の何ができなかったのかを一緒に考えて課題を解決できるようにしています。

――朝練は何時から始めるのですか。

 そんなに早くなくて、朝7時ぐらいです。授業が始まるのが8時40分なので、8時30分ごろまで練習をしています。

――宮下君の仲間を大切にする意識はどこから来ているのですか。

 仲間を大切にする意識はチームのモットーみたいに、岡田先生(岡田友希監督)がよく言ってくださることなんです。新チームが始まる前から先輩たちがよく一緒に練習をして自分を育ててくださったので、そういう意識が自然と生まれました。

――チームには「つながりノート」がありますが、そのノートを書くことで仲間への意識がさらに強くなるのではないですか。

 そうですね。つながりノートは6人ほどのグループで書いているので、6日に1回のペースで書いています。この他に、バッテリーノートと個人ノートがあり全部で3種類あります。バッテリーノートには、自分の反省を書いて記録として残していて、後で振り返えられるようにしています。ノートを見ながら、「自分はこういうことができなかったな」と成長していることを実感することで頑張る理由にもなりますから。

――3種類のノートを書くのは大変ではないですか。

 ノートは自分の感情をぶつける場所でもあるし、課題を書いてそれを克服してというように、どんどんステップアップできる実感があるものだと思うので、大変ではないです。

――宮下君は、6種類の変化球を投げますが、その球種を教えてもらえますか。

 スライダー、カットボール、カーブ、チェンジアップ、スライダー、フォークです。

――どのようにこれらの変化球を使い分けているのですか。

 自分がその時に投げたい球ではなく、バッターの苦手そうな球を投げるのが良いピッチャーだと思います。もちろん、自分が一番自信のある球を投げる場面もありますが、基本は相手打者を観察して、相手が嫌なボールを投げています。マウンドからだと打者の細かな部分は見えないので、キャッチャーに助けてもらっています。

――配球は、宮下君とキャッチャーの布川君のどっちが考えているのですか。

 2人で一緒に考えています。試合前までに相手のデータを頭に入れておいて、試合前に2人で打合せして決めています。

――ところで、6種類の変化球をどのように取得したのですか。

 遊び感覚でキャッチボールをしながら、自分でどんどん研究して取得していった感じですね。

――誰かから教えてもらったりしたのですか。

 変化球は教えてもらっても、人それぞれ骨格や投げ方、投げる感覚も違うので、自分で見つけるしかないものだと思っているんです。変化球が曲がる原理を学び、それを元にどんな回転をかけたらいいのかというように、自分で本当に研究しました。

――いつから変化球の習得を?

 中学の時からずっとです。中学では館林ボーイズに入っていたのですが、膝の半月板を損傷したり、オスグッド病(脛骨結節が突出して痛みが出ること。発育期のスポーツ少年に起こりやすい)になったり、坐骨結節疲労骨折を起こしたり、肘を剥離骨折したりしてケガばかりでした。1年の夏前に硬式野球をあきらめて中学の軟式野球部に入ったんですけど、そこでもまた膝の全十字靭帯付着部剥離骨折をしてしまったんです。もうこの体じゃストレートが投げられないんじゃないかなと思い、好きな野球を続けるのはどうしたらいいのかと考えた時、変化球で抑えることしかないと思って、変化球を覚えることにしました。
 中学でほとんどの球種を投げられるようになったんですけど、高校で習得したものもあります。

――ピッチャーとしては使える変化球の数が多ければそれだけ武器が増えますね。やはり、甲子園に行きたいという思いは強いですか。

 はい。戦力的には去年よりも正直、劣ると思います。でも野球は体が直接ぶつかるスポーツではないので、体が小さくても、技術がちょっと劣っていても、頭を使ったりして自分たちで工夫しながら勝ち上がっていきたいと思います。それに、先輩たちの思いも背負っているので、先輩たちのためにも勝ちたいなと思います。

――昨年の夏は、自分のせいで負けたと思っているのですか。たまたま最終バッターになっただけで、宮下君のせいではないと思うけど

 でも自分が打てなくて試合を終わらせてしまったんです。もっと先輩たちと長く野球を続けたかったという気持ちが本当に強かったので、打てなかった自分を責めましたね。ですが、この嫌な経験のおかげで、責任感を持って朝練習を1年間続けてこられましたし、そして何より野球人として成長できたと思います。

――夏の大会を目前に控え、6月の東京学館新潟との練習試合で、学んだこともあるそうですね。

 最後の1球に甘い球が行ってしまって打たれてしまいました。油断はなかったと思うのですが、練習からもっと集中して取り組んでいかなければいけなと思いました。

――夏の大会前にそれがわかって、逆に収穫になったのではないですか。

 昨年も大会前に東京学館新潟と戦ってその時は勝ったのですが、今回、同じ相手に負けたことで自分の中では一球の怖さを改めて知ることができました。
 岡田先生が、前橋育英の外丸東眞選手の話をしてくださったんですけど、2021年の春に準々決勝で太田に負けて、悔しさで2日間泣いて、それから練習場に誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰っていったそうなんです。自分もその話を聞いて誰よりも早く練習場に来て、誰よりも遅く帰っていくことを実践しています。

――参考にしている選手、好きな選手はいますか。

 オリックスの山岡泰輔選手です。(172㎝と)体が小さいのに、チームメイトだった(195㎝の)ブランドン・ディクソンと同じリリースポイントなんです。「身長が高い選手と同じリリースポイントに投げるようにしている」という山岡選手の話を聞いて、「体が小さいながらもプロの世界で通用しているのは、自分で考えて工夫しているからなんだなと思いました。自分は投げ方というより、山岡選手の考え方を参考にしています。山岡選手にしろ、山本由伸選手にしろ、大谷翔平選手に選手にしろ、成功している選手は何かしらの秘訣があると思うんです。そして今、好きなのは、オリックスの山本由伸選手です」

――大学では、野球をやらないそうですね。

 野球は高校までにして、大学では考古学を学びたいと思っています。よく家族で古墳に行ったりするんですが、「なぜこの向きに古墳を作ったのだろう」とその理由を考えることが好きなんです。

 新たな夢の第一歩を踏み出す宮下が、この夏、野球人としての集大成となる投球を見せる。この取材を通じて、困難に直面してもあきらめずに考えて工夫して取り組む大切さを改めて知った。