練習時間の少ないハンディを思考力で埋めた頭脳派捕手
――清塚君はスポーツ科学コースではなく、特進コースに通っていますが、皆と同じ時間に練習を始められないのではないですか。
清塚 木曜日は6時間目で授業が終わるので、自分もみんなと一緒に練習に入れるんですが、それ以外は遅れて練習に合流します。基本は7時間目まで授業があって、火曜日だけは7時間目の後に数学の講義も取っているので、練習に行けるのが午後6時半くらい。その時間にグラウンドに行くと大体、練習が終わっているので、ウエイトをやって自主練をして帰ります。家が渋川で2時間も練習できないのですが、いかに短い時間で効率よくやるかを考えています。
――他のみんなは、何時から練習しているのですか。
清塚 火・木曜日は6時間目までの授業なので午後3時半から、水・金曜日は4時間目で授業が終わるので、午後2時からの練習になります。
――練習時間の少ない中で努力して、春の大会の途中からレギュラーを獲りました。高校での公式戦初出場が、準決勝の桐生第一戦でしたが、この試合に勝つと関東大会への出場が決まるので、緊張したのではないですか。
清塚 関東大会に行かないと(夏までにチームとして)成長しないというのがあって、その部分でのプレッシャーはあったんですけど、「まあ、やれるかな」と言う感じはしていました。桐生第一戦はそんなにいい仕事ができませんでしたが、キャッチャーとしてできる限りのことはできたかなと思います。
――決勝戦では、健大に1本のホームランを許しただけで、見事なリードでした。健大打線に対し、どうピッチャーをリードしていったのですか。
清塚 あの日は、自分自身、試合を楽しめていて、ピッチャーの生方碧莞もすごく調子が良かったんです。ほぼ計画通りにできました。
健大は長打が多く、全体的にバットのヘッドが落ちて体を開いて打ちに来るバッターが多いので、いかにアウトコースの球の出し入れを上手くしていくかと、高めのウエストボールを打ち上げる傾向があったので、そこを上手く生かすことを考えました。
それに、健大は今年から走塁に力を入れていたので、刺せるかどうかは自分次第。5つ盗塁をされたうち2つをアウトにしたので、集中して盗塁阻止ができたかなと思います。
――皆より、練習時間が少ない中で、試合で結果を出せたのはなぜだと?
清塚 監督さん(荒井直樹監督)や清水(陽介)先生が、他の選手にしているアドバイスを聞くようにしていて、「そういうことが大事なんだな」と理解したり、練習試合でマスクを被っていない時に、「自分がキャッチャーだったらどう抑えるのか」と考えながら見ていたので、それが春の大会で生きたのだと思います。
――普段の練習時間が短い分、効率的にやらなければというのが、自らの選手としての成長にも役立っているのではないですか。
清塚 キャッチャーとして、ここぞという場面で集中力を上げられるのは、日ごろの練習や勉強の経験が生きているんだと思います。ぎゅっと練習や勉強を凝縮してやっている分、ワンポイントの集中力はあるのかなと思います。
――キャッチャーをやる上で、心掛けていることはありますか。
清塚 気配りと信頼関係です。技術面ではブロッキング。絶対に球を後ろにそらしたくないので、どんな球が来ても止めてやるという気持ちでいます。たくさん練習して、それでも止められなかったら、また練習するしかないと思っています。コミュニケーションもブロッキングも、一芸じゃなくて、日ごろからコツコツとやっていくことを大切にしています。
――コミュニケーションを取ることで、ピッチャーのその日の調子もわかりますからね。
清塚 ピッチャーのモチベーションは、試合ごとだけではなく、イニングごとでも上下するので、ここぞのポイントで、いかにピッチャーの気持ちを上げられるかはキャッチャーの力もあると思うので、言葉選びは大切にしています。同じ言葉をかけるにしてもどんな言葉をかけるかで、ピッチャーの状態が全然違ってくるんです。でも、毎回、同じ言葉をかけていると、ピッチャーも飽きてしまうので、また新しい言葉を使ってみたり…。結構、難しいんです。
――荒井監督から、清塚君はバッティングもいいと聞いています。
清塚 まだまだですが、バッティングは以前よりもどんどん良くなっている感じがします。毎日、自分のバッティングの直すべきポイントを検証していて、いい部分は残し、悪い部分はしっかり修正することに取り組んでいます。
――バッティングの悪い部分は、どこだと?
清塚 一つは、スイングする際に体重移動をしすぎて、体が前に行ってしまうところです。もう一つは、左肩の開きが早くなってしまうので、そこを我慢することにも取り組んでいます。大きな修正点はその2つです。
自主練習中にケイタイで撮った自分のバッティングの映像を何回も見て、課題に気づいたんですが、自分の理想としている鈴木誠也選手(広島→シカゴ・カブス)、村上宗隆選手(ヤクルト)のバッティングを参考にしていたら、いい打者の共通点に気づいたんです。まず、いい打者は、軸足のひざが割れない。ひざが割れちゃうとバットに力が伝わらないんです。
また、球を打ちに行くときに右ひじが入ってこないと球に力が伝わらないので、そこも練習しています。
この他、逆方向に打てるバッターは、スイングの際に肩の開きが遅いのと、ライト方向と、レフト方向に打つ時に、骨盤の位置が変化することにも気づきました。
――さて、今夏に優勝するためにチームとして必要なのは何ですか?
清塚 試合に出ている9人が前橋育英の野球を体現できるかどうかだと思います。走塁面で、春の準決勝の桐生第一戦と決勝戦の健大戦ではなかなか走れなかったんです。相手のいいキャッチャーに対しても走っていかないと夏は勝つのは厳しいかなと思うので、もっと走塁にこだわること。
そして守備力を上げること。守備は、まだまだ甘さがあるんです。ピッチャーの投げる球種で守備位置を変えるくらいじゃないと勝ち抜くのは厳しいと思っています。あとは、バッティングで、来たチャンスを確実にとらえてランナーを還せるかどうか。
後は、「もっと盗塁するためにはどうしたらいいのか」といった選手同士のコミュニケーションを増やしていけば、さらにチームとしてレベルアップすると思うんです。
――ところで、前橋育英で野球をやろうと思ったのはなぜだったのですか。
清塚 野球だけでなく勉強にも力を入れたかったので、野球が強く進学率の高い県外の高校で寮生活をしてもいいかなと考えていたんです。でも両親に、「県内で頑張ってほしい」と言われ、勉強も野球もしっかりできる県内の高校を探していた時、監督さんから「特進コース」を始めるからと話をいただいて、それで決めました。
――勉強だけじゃなく、野球も高いレベルでやりたいというのは、将来はプロになる夢をもっているからなのですか。
清塚 プロと言うよりは、単に野球が好きで続けていきたかったんです。勉強だけコツコツやっているからといって人として良くなるわけじゃないし、野球から学ぶこともいっぱいあるんです。野球をやるんだったら強豪校でやりたかったんです。
――学校で集中して野球の練習に取り組んで、家に帰ってから勉強をするわけですが、どうやって勉強する時間を作っているのですか。
清塚 部活が終わって、家に帰るのが午後9時半なんです。そこから洗濯機を回して、体のケアをしてから、勉強をやらずに午後11時くらいに寝るようにしています。夜に勉強しても、疲れていると頭に入らないからです。翌朝5時に起きて、そこから勉強をします。でも一番は授業中にどれだけ頭に入れられるかなので、授業で覚えられるものは全部覚えるようにしています。暗記できるものは、授業で先生の言ったことを復唱しながら、ノートに書いて、またそれを見てを繰り返すと、大体、脳にインプットされます。忘れてもノートを見返すと思い出すので、その繰り返しでテストの点数をキープしています。
――将来の夢はなんでしょう。
清塚 大学でもトップレベルの強豪校で野球をやりたいと思っています。自分の中で楽しみがあって、高校は金属バットですが、大学では木製バットなので、いい打ち方をしないと打球が飛ばないんです。その木製バットを使う大学野球で、自分がどれだけ通用するかを試してみたいんです。それがとても楽しみなんです。
将来は、後輩から憧れてもらえるような人になりたいですね。父は会社を経営しているのですが、すごい人格者なんです。野球が上手い、勉強ができるはあくまでも能力であって、人格の部分ではないので、父のような人として尊敬してもらえるような人格者になりたいと思っています。
――将来、家業を継ごうと思っているのですか。
清塚 継ぐつもりはないんです。兄が父の会社に勤めているので、自分はやりたいことをやろうと思っています。
<了>
■Profile
清塚 成(きよづか・じょう)
2004年12月30日生まれ、渋川市出身。小学校2年の時に豊秋ジュニアホークスに入団。小学3年生から捕手となり、4年生になると県大体でマスクを被った。中学では前橋ボーイズに所属し、高校は特進コースがあり、野球の強豪校でもある前橋育英に進学した。今年3月の自主練習中に左足首を捻挫して、3週間ほど練習を休んだ時、「調子がいい中でケガをしてしまったら出遅れてしまうんだな」と身をもって体験。今春の準決勝のから正捕手としてマスクを被っている。今夏は、バッターとしても頭角を現し、初戦の渋川戦では初めて4番を任された。勉強でも野球でも手を抜かない努力家でもある。173㎝・77㎏、右投右打。