<アーカイブ>
2021年3月19日から、第93回選抜高校野球大会が始まる。昨年は新型コロナウイルス感染の影響で中止となったセンバツ。2年ぶりとなる開催に、群馬からは関東大会を制した健大高崎が出場する。圧倒的な打撃力を誇る健大高崎がいかに進化していったのか――。2018年10月に発表された記事を紹介する。
©菊地高弘 ©立川一光 ©星野編集事務所
ライバル――。まさに健大高崎と前橋育英の両校野球部の関係がそうだ。2013年からは春夏含め、必ずどちらかが甲子園へと駒を進めている。互いに切磋琢磨する両校の熱き戦いに迫った。
文/菊地高弘 写真/立川一光 企画編集/星野志保
はっきり分かれた二強の明暗
健大高崎は育英に弱いのか?
桐生球場のスコアボードには前橋育英の「6」と、健大高崎の「2」の得点が表示されていた。
ゲームセットの瞬間、健大高崎・青栁博文監督の脳内を支配していたのは「力不足」というシンプルかつ重みのある実感だった。
「今まで以上にない、育英さんとの力の差を感じました」
それは前橋育英が強いから差を感じたのか、それとも健大高崎の力が足りないから差を感じたのか。そう青栁監督に確認すると、「両方です」という答えが返ってきた。
9月26日に行われた秋季群馬県大会準決勝。関東大会出場をかけた一戦は、序盤から健大高崎が劣勢に立たされた。最速145キロの速球派右腕・久保田悠斗は6回6失点で降板。経験値の少ない打線は、ことごとく前橋育英の厚い守備網に阻まれた。
健大高崎といえば、今や全国区のフレーズとなった「機動破壊」の旗印のもと、圧倒的な機動力で数々の強敵を粉砕してきたイメージが強い。だが今秋は侍ジャパンU‐15代表で活躍した実績がある田口夢人が大会中に肉離れを発症。さらに本来なら1番打者を任せたかった稲村紀も右足首骨折から復帰したばかりで、機動力が使えないという事情があった。それでも青栁監督は、それ以前の問題だったと振り返る。
「ウチの機動力は競り合いの中で効力が生まれるものです。でも秋の時点では打って、走って、守る、とすべてにおいて基本的な力がありませんでした。この基本の力をつけないといけないと感じました」
近年の群馬県の高校野球界をリードしてきた両雄の間に、今秋時点でははっきりとした明暗のコントラストが生まれている。2015年以降の公式戦における両校の直接対決は、前橋育英の8勝1敗。今や県内はおろか、全国の高校野球ファンの間でも「健大高崎は前橋育英に弱い」という見方が定説のように広まりつつある。
とくにショッキングだったのは、今夏の群馬大会決勝戦だった。健大高崎は山下航汰、高山遼太郎、大越弘太郎、今井佑輔、大柿廉太郎ら実力も経験もある野手がひしめいた。先発メンバー全員の高校通算本塁打を合わせると200本をはるかに超える。
「投手陣が多少点を取られても、カバーできるだけの打線でした。甲子園で勝負したかった代ですし、勝てたチームだと思っています」
青栁監督がそう自信を見せるのもうなずけるほどの、全国屈指の陣容だった。苦手の前橋育英にも春の県大会準決勝で7対2と完勝。初回に集中打で5点を浴びせるなど、圧倒的な強さを見せつけた。
ところが、夏の決戦では試合を優位に進めながらも、終盤に追いつかれた上にサヨナラ負け。歴代最強チームをもってしても、前橋育英の牙城は崩せなかった。
青栁監督は無念さを押し殺すように、静かにこう言った。
「継投のタイミング、打線のピークの持っていき方。そういった難しさを感じましたが、一番は選手の気持ちと技術のバランスだと思います。力があっても、試合で発揮できなければ意味がない。育英さんが大事な試合でのびのびとプレーしているのに対して、ウチは硬くなってしまう……。この差は受け止めないといけないと思います」
「谷間の世代」が見せた奇跡
なぜ育英は健大に勝てたのか
「あの試合で僕の人生観が変わりました」
今でも信じられないという顔でそう言ったのは、前橋育英の荒井直樹監督だ。
夏の群馬大会決勝・健大高崎戦。下馬評は健大高崎の圧倒的優位を伝えていたが、前橋育英陣営も大きな戦力差を感じていた。
皆川喬涼(現中央大)や丸山和郁(現明治大)ら能力の高い選手がそろっていた学年が引退して迎えた新チームは、「谷間の世代」と呼ばれていた。
荒井監督の言葉を借りれば、「上には大きな壁があって、下からは突き上げられて、きゅうっと小さくなっている代」。春の県大会ではワンサイドゲームで健大高崎に敗れ、甲子園がはるか遠くに感じられた。
そして夏の決勝戦でも、序盤からリードを許す厳しい展開。しかも、守備力が自慢のチームでありながら、自分たちのミスから失点した。1点差に迫った6回表には2点を奪われ、再び3点差に。荒井監督は「最悪の展開」と感じていた。
ところが、8回裏に4番・小池悠平のライト前にポトリと落ちる幸運な二塁打からチャンスを作ると、代打・石田大夢の2点タイムリー二塁打、9番・笹澤大和のタイムリーが続き同点に追いついた。さらに9回表の大ピンチをしのいだ9回裏には、3番・橋本健汰がヒットで出塁すると、5番・梅澤修二がレフト線を破るサヨナラタイムリー二塁打を放った。荒井監督は「奇跡としか言いようがない」と振り返り、こう続けた。
「人間の計り知れない可能性を感じました。僕だけでなく選手も信じられないという顔をしていましたし、今までで一番感動した試合でした」
なぜ前橋育英は圧倒的不利を覆して、勝利をつかむことができたのか。「あえて勝因を探すとすれば」と前置きして、荒井監督はしみじみとこう語った。
「3年生の真面目さだと思います。今年の3年生は本当におとなしくて、チャンスの場面でも女子マネージャーがベンチで祈っているような雰囲気なんですよ(笑)。『お前ら、もっとパーッといけよ!』なんて発破をかけたこともあるんですけど、そんな真面目な彼らに神様が最後にごほうびをくれたんじゃないかと思うんです」
サヨナラのシーンを振り返ってみると、先頭打者で出塁した橋本は、そもそも投手として入部した選手だった。将来のエース候補と期待されていたが、1年時にはヒザを手術し、その後も右ヒジ痛に悩まされた。見かねた荒井監督が「ストレス解消になれば」と練習試合に代打で起用したところ、初球をホームラン。それから一塁手に転向し、死に物狂いでレギュラーを獲得した。
また、サヨナラ打を放った梅澤にしても腰を手術するなど、故障に苦しみながら努力してきた選手だった。梅澤が打ち、橋本がホームに還ってきたシーンを目にして、荒井監督には込み上げるものがあった。
「大会中、選手たちに言っていたんです。『いろんなスポーツの中で、人間が得点になるのは野球だけだ』って。野球は人間がホームに還ってきて1点になる。だから人間を磨かないといけないし、全力疾走をしないといけないんだ……ちょっとこじつけかもしれないですけど(笑)。でも、最後に橋本が還ってきたのを見て、『やっぱり人間性だよな』と妙に納得したんです」
「谷間の世代」が起こした奇跡。荒井監督はこの3年生の姿を下級生も見ていたことが、秋にもつながったと考えている。
「圧倒的に強い健大さんに勝ち切って、甲子園に出た。これは本当に大きかったと思います。新チームのエースになった梶塚(彪雅)にしても、とりたてて球威があるタイプではありません。3年生の恩田(慧吾)の姿を見て、刺激になったのでしょう」
<2に続く>