高校編
前橋商業バレーボール部 #3
みんなを笑顔にするために
前橋商業バレーボール部は、新型コロナ感染拡大の影響でインターハイが中止になっても3年生全員が途中で部を引退することなく、春高出場へ向け、最後まで全員で戦った。チーム結束の力となったのが、マネージャーの引田充咲(ひきだ・みさき)だった。
文・写真/EIKAN GUNMA編集部
「充咲を全国に連れていこう!」
春高予選決勝戦が始まる直前、清水亮コーチの言葉に、選手たちは「おー」と気合を入れて試合に臨んだ。
試合は、フルセットまでもつれ込む接戦で、3セット目の終盤にチームの得点源のエースを失ったチームは、結局、4年連続の全国への切符をつかむことができなかった。
「試合が終わったときは、いつもの練習試合に負けたぐらいの感覚でした」
みんなが涙を流している姿を見て、『本当に終わっちゃったんだ』と現実を受け止めた。涙もこみあげてきたが、「やっている選手たちのほうが絶対に悔しいので、私が泣くわけにいかない」と、選手たちが「今までありがとう」と互いに声を掛け合う中、引田はドリンクのボトルや鉢巻き、タオルをそれぞれの選手に返したり、試合後に飲むプロテインを配ったりと、マネージャーの仕事を黙々とこなしていた。すると選手たちは引田のところへ駆け寄り、「充咲、ごめんな」と、春高に連れていけなかったことを謝った。
引田は中学校までバレーボール部に所属。高校でもバレーを続けようかと迷っているとき、友人から「マネージャーはどう?」と勧められた。引田の姉も前橋東高校野球部のマネージャーをしていたこともあり、その仕事にも興味があった。2017年の春高予選の決勝戦を見に行き、前橋商業の選手たちが楽しそうにプレーをしている姿を見て、小林潤監督のバレーボールに魅力を感じ、前橋商業バレーボール部でマネージャーをすることを決めた。
マネージャーの仕事は、大会のときにはスコアを書いたり、ドリンクを作ったり、選手が練習着になる前に着ているパーカーを畳んだり、夏は汗をかいたTシャツを洗ったり、備品の管理したりと、多岐にわたる。引田の代は、マネージャーは引田だけ。1つ下の代にマネージャーはおらず、昨年6月に1年生のマネージャー3人が入ってくるまでの約1年半、引田はたった1人で部を切り盛りしていた。そんな大変な仕事をこなせたのも、「みんなが笑顔で楽しくバレーボールをやってくれることが一番うれしかった」から。「バレーボールが好きな人たちばかりなので、私ができることをやって支えてあげたいと思っていました。ちょっとした仕事をしたときに『ありがとう』って言ってもらえるのが一番うれしかったです」
新型コロナウイルス感染拡大のために、目標にしていたインターハイが中止になった。みんなが一つの目標を失いかけていたとき、小林監督から、『月刊バレーボール7月号』(日本文化出版)で、高校や中学、小学校の選手や保護者から中止になった大会への思いを募集する「月バレインターハイ」に参加してみないかとの提案があった。引田が画像を作り、キャプテンの小林透弥と部長の山根大幸が、画像に添える言葉「この悔しさをオレンジコートへ」を考えた。
これをきっかけに、チームはさらに団結。例年ならインターハイが終わると、部を引退する選手も出てくるのだが、3年生15人、引田を含め16人全員が部に残り、「やるしかないでしょう。みんな残ろう」と、春高出場を目標に気持ちを新たにした。
このことについて小林監督は、引田に感謝しているという。
「他学校では、春高があるかないかわからない状況の中で、引退した子もいると聞きます。ウチはそれがなく、最後まで皆がやってくれました。本当に引田がいたからだと思っています。ウチは精神的に幼い子が多いんです。裏を返せば素直。そういう子たちのわがままを文句一つ言わずに受け入れて、面倒を見て、選手の保護者たちからは『お母さん』って言われていました。バレーを一生懸命に頑張っている子たちを冷静に見て、必要な仕事を率先してやってくれました。皆、充咲に感謝していると思います。だからこそ、皆、充咲を全国に連れてやりたかったんだと思いますね。1人で部を切り盛りしていたので、何とか最後にいい思いをさせてあげたかったですね」
4月から引田は、中学校の頃からの夢であるウエディングプランナーになるために、新たな道に進む。
「人を笑顔にできる仕事に就きたかったんです。ホスピタリティーを身につけたいなと思ってマネージャーをしたんですけど、誰かが笑顔になってくれるのは嬉しいことだなと改めて思いました」
結婚式という人生の晴れ舞台で、多くの人々を笑顔にする。