群馬クレインサンダーズ
木村 圭吾
主力として活躍していた新潟アルビレックスBBから、選手としての成長を求めて、今季、サンダーズへの移籍を決断した木村圭吾選手。しかし待っていたのは、ベンチにも入れない試合があるという現実。試合に出なければ選手としての評価を判断してもらえない厳しい世界。眠れないほど苦しんだシーズンだったが、そんな木村選手を支えたのは、チームメイトやスタッフたちだった。5月10日に行ったインタビューでは、苦しかった胸の内を明かしてくれた。
取材/星野志保(Eikan Gunma編集部) 取材日/2024年5月10日
――5月5日で2023-24シーズンが終わりましたが、木村選手にとってどんなシーズンでしたか。
やっと終わったな、長かったなって感じです。
――新潟から加入して、今季はなかなかプレータイムが伸びませんでした。具体的な数字で見ると、新潟時代の2022-23シーズンが1360.57分(57試合出場し、そのうちスタートからの出場は26試合)の出場時間だったのに対して、今季サンダーズでは206.33分(36試合出場で、スタートからの出場は0)まで激減していました。木村選手にとってこの1年はどんなシーズンだったのでしょう。
新潟では、ほぼ毎試合出場していて、40分間フルでコートに立っていることもありましたが、今シーズンはその逆で、試合にほぼ出られない。出てもちょっとだけで、試合の終わりの2分というのもありました。正直、屈辱的だったし、良い思いはしなかったです。
――最終戦のセレモニー時の挨拶で、「本当に、今シーズンは正直しんどいことが多くて、夜も眠れないことも結構あった」と言っていました。その言葉が木村選手の悲鳴のように聞こえたんです。
正直、本当に寝れなかったし、目を閉じたら悪いことばかり頭に浮かんできました。言い方は悪いですけど、「来季、仕事があるのかな」とか……。ちょっとでも試合に出て活躍したら、それが材料になって、来季またサンダーズでプレーできるかもしれないし、他のチームに売り込むことだってできますが、試合に出るチャンスさえなかったら、選手として見せられるものが何もないんです。「どうしよう」と悩みましたね。そんな状況で練習に行って、そこでまた上手くいかなかったらどんどんどんどん気持ちが滅入ってしまう。そういうことが、結構ありましたね。
そんな苦しい状況の中で助けてくれたのがチームメイトでした。最終戦のセレモニーでも話したのですが、アシスタントコーチの池田親平さん、菅原暉、五十嵐圭さんは僕の話を本当によく聞いてくれました。ホッシー(星野曹樹)もそうだし、野本建吾さんも並里成さんも、本当にみんなが僕を助けてくれました。
特にベン(・ベンティル)は、僕が英語を話せるのもあり、「お前は、もっとやれるのに、それを(チームは)わかっていない」とずっと言ってくれていたんです。ベンはコーチにも、「何で圭吾を使わないんだ。圭吾を使った方がいい」と本気で言ってくれたこともあったんです。ベンは、「人を見下す」ような言い方をするんです。言い替えれば、「俺が一番だぜ!」って感じなんです(笑)。NBAにもちょっといて、ユーロリーグでもプレーしているような選手からそう言ってもらえたのは心に響きました。ベンの専属トレーナーが日本に来た時には一緒にワークアウトをさせてもらったり、食事に連れて行ってもらったりと、本当にベンには良くしてもらいました。
今、名前を挙げた人たちだけじゃなく、他のチームメイトも皆、僕に声をかけてくれましたし、本当に仲間に支えられたシーズンでした。
――試合中、ベンチで五十嵐選手と話をしている姿をよく見ましたが、何かアドバイスをしてもらっていたのですか。
圭さんは、僕がバスケを始める前からプロでやっていた経験豊富な選手なので、圭さんのアドバイスには説得力があるし、自分を分かってくれているのが何より心強かったです。
最初は圭さんと話すのが怖かったんですけど、今では、例えばシュートミスをしても、「あれは良かったから、続けて」と励ましてくれたり、良いプレーをした時も褒めてくれますし、悪いプレーをした時も指摘した後に良い気持ちで終われるような言葉をかけてくれたりと、本当に気を使ってもらいました。僕にとって圭さんの存在は大きかったですね。しかもよく話をしてくれましたし。
――苦しい状況にあるのも関わらず、試合では笑顔を見せていたほど、つらいという表情をまったく見せなかったですね。
やっぱりバスケットが楽しいから、試合に出て、ちょっとでもプレーできれば嬉しいし、あの大歓声のアリーナでプレーできるのも嬉しいし、それこそファンの皆さんも温かく迎えてくれるし、そういう中でプレーできるのはやっぱり最高に嬉しいんですよね。
ベンチに入れても試合に出られないこともあったので、正直、不貞腐れた時もありましたけど、やっぱり試合では、良い感じで振る舞わなければなりません。そういう態度もコーチたちは見ていますから。
――プレータイムに恵まれなくても一生懸命に努力している選手たちのことを、水野宏太HCは試合後の会見で褒めていましたよ。木村選手も努力していたからこそ、短い出場時間ながら持ち味の3Pシュートを決めたりと結果を出せたのではないですか。
すべてアシスタントコーチの池田さんのおかげです。ベンチに入れるかどうか分からない時でも、全体練習の2時間前ぐらいから僕の練習に付き合ってくれましたし、全体練習後も最後まで残って僕の練習を見てくれました。そういう準備してくれたので、僕は不貞腐れたままでいることはできなかったです。僕から練習に付き合ってほしいとお願いはするんですけど、「次の相手はこういう癖があるから、こういうことしたら上手くいく。だからこういう練習しよう」と親身になってくれた池田さんのお陰で、短い時間でも3Pシュートを決めることができたんだと思います。いざ試合に出た時でも、その通りに自分がやるだけでしたから、池田さんの準備がなかったら、試合に出ても自分の持ち味を出せていなかったと思います。もちろん池田さんだけじゃなく、他のコーチングスタッフ、リバウンドを取ってくれるマネージャーと、サンダーズのスタッフ全員のお陰で、いつ試合に出てもいい準備はできていたと思います。
――木村選手にとってサンダーズ1年目は苦しいシーズンでしたが、その中で得られたものは何でしょう。
自分が試合に出ている時に、相手にボコボコにされることはなかったので、このレベルでも自分はできるんだと思いましたし、練習でもトップクラスの人たちと一緒にやっていけたのは、やっぱり自信になりましたね。辛抱強くやり続けることが本当に大事だなっていうのは、改めて実感したシーズンでした。
――サンダーズでは、木村選手は3Pシュートが武器で、ディフェンス面で少し課題があると言われていました。ですが試合を見ていて、「良いディフェンスをしているな」と思いました。
僕は、新潟では“ディフェンスが良いキャラ”だったのですが、サンダーズに来たら“ディフェンスができないキャラ”になっていました(苦笑)。練習で「ディフェンスが良い」と褒めてもらえるのに、試合では信頼してもらえない。試合で「マークマンを変われ」と言われたりして、ディフェンスができないと見られていたのはショックでしたね。
新潟の時には、相手のエースのマークについたりして、それなりに守れていたと思うんです。相手に30点も40点もやられたわけじゃなかったですから、ディフェンスには自信があったんです。
――この1年、トレイ・ジョーンズ選手やベンティル選手といった能力の高い選手と一緒にプレーした中で、得た自信はありますか。
日本のどのチームと試合をしても、トレイとベンを止められる選手はあまり見なかったほど、あの2人はBリーグでもトップクラスの選手だと思います。試合で、トレイやベンが調子が良くて自分たちでシュートを打てるような場面でも、わざわざ僕にパスをくれたり、「こういうプレーでお前が(シュートまで)行けよ」と言ってくれていたので、得点の部分では彼らに認めてもらっていたのかな。そういう選手に信頼されているのは嬉しかったし、もちろん彼らから学ぶところはオフェンスでもディフェンスでもたくさんありましたね。
――来季は、もっと活躍する姿をファンに見せたいですね。
でも、ここにいるか分からないです。やっぱり、自分を生かせる場所でプレーするのか一番だと思うんです。でもサンダーズでの1年は無駄だったとは全く思っていません。いろいろ学べたので、それを来季に生かしたいですね。
――最後に、1年間、応援してくれたファンにメッセージをお願いします。
先ほどチームメイトに助けられたと言いましたが、もちろんファンの皆さんにも本当に助けられました。試合に出たら大歓声で迎えてくれたり、シュートが入ったらすごい歓声で盛り上げてくれたりと、僕に期待してくれているのが分かるぐらい、温かく接してもらいました。皆さんの声援を聞くと、「ここでプレーしていてよかった」と思いましたし、手紙や差し入れをいただいた時は、「こんなに期待してもらっているんだな」と嬉しい気持ちになりました。そのたびに頑張ろうと思えたので、本当にサンダーズのファンの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
<了>
■Profile
木村圭吾(きむら・けいご)
2000年11月8日生まれ、東京都出身。実践学園中学時代は全国制覇を成し遂げ、八王子学園八王子高校時代はスコアラーとして将来を嘱望される存在だった。19年3月、高校卒業後に第12回スラムダンク奨学生として渡米。同年9月にセント・トマスモア・プレップに入り、20年8月にNCAAディビジョンⅢのセントジョセフ大学に進学。21年にコロナの影響で急遽帰国し、新潟アルビレックスBBに加入。2023-24シーズンに群馬クレインサンダーズに移籍。来季はB2の福井ブローウィンズでプレーする。ポジションはシューティングガード(SG)、188㎝・82㎏。