「なぜ甲子園に行けないんだろう」とその原因を追究した日々。キャプテンとして「自分たちにできることはすべてやる」と取り組んだ努力を実らせる!
夏の県予選で現在ベスト4に進出している健大高崎。今春のセンバツで力を出せず完敗した報徳学園戦(兵庫)をきっかけにチームはさらに進化し、春の関東大会で優勝した勢いを保ち、8年ぶりの優勝を目指す。ここでは、チームのキーとなる3選手のインタビューを紹介する。
取材/Eikan Gunma編集部
森田光希(もりた・こうき)
3年・内野手・キャプテン
2005年9月29日生まれ、静岡裾野シニア(富士宮市立第二中学校)出身、178㎝・77㎏、右投右打
――秋、春と優勝しましたが、その分、夏に優勝するという思いが強いのではないですか。
優勝しなきゃいけないと思うのですが、あまりそういうことは意識せず、目の前の試合を一つずつ挑戦者の気持ちで挑むというのは意識しています。
チーム全員に、「秋や春に優勝していても、夏にはどうなるか分からない」とよく言っていて、「もう一回、夏にタイトルを取るために、今、自分たちにできることすべてをやっていこう」と伝えています。
――昨夏の決勝戦で樹徳に敗れた悔しさも、キャプテンとしてチームをまとめる上で影響していますか。
自分もベンチに入っていて、20人の半分ぐらいが1、2年生だったんですけど、あの悔しさは今でも忘れません。その前の年も決勝戦で前橋育英に敗れていて、2大会連続で決勝戦で悔し涙を流しているんです。だからこそ、「何で(甲子園に)行けないんだろう」と新チームになった当初から追究するようになりました。この夏、追究してきた成果を表現できたらいいと思っています。
――そういう意味では、春の関東大会で優勝したことは、チームの自信にもつながりましたか。
すごい自分たちの自信になっています。
――このチームが大きく成長したのは、今春のセンバツの報徳学園戦での負けがあったからですか。
自分たちが変わる一番のポイントになったと思います。初めての甲子園での戦いでしたし、冬場に攻撃力と機動力に力を入れてやってきたのですが、それを何も出せないまま、秋からできていた守備力もできずに終わってしまったので、本当に悔しかったんです。チームとしても一番うまくいかない試合を、甲子園という大舞台でしてしまったので、そこが一番悔やまれます。
――その報徳学園戦(京都)は、健大の機動力を封じられていたように思いました。
まず、打ってランナーを出せなかったというのが大きいのですが、相手にリードを許した時に、自分たちが打って流れを引き寄せる力もなかったですし、報徳戦は、自分たちの力不足を感じた試合でした。
――その報徳戦で見えた課題を、チーム強化につなげていったのですね。
昨年の秋は、自分はベンチにいて声を出していた立場なんですけど、そこから一転してセンバツでは2番セカンドで出場したんですけど、チャンスで打てず、大舞台で力を発揮する難しさというのも感じました。だからこそ、もっと主将としてチームを勝たせるプレーをしたいなというのを甲子園で実感できたので、そのためには人一倍練習しないといけないなと思いました。
正直、自分は他の選手よりもバッティングがいい方ではないので、毎朝、必ず室内練習場でティーバッティングをするのをルーティーンにしています。
午後の全体練習が終わった後も、誰か仲間を見つけてボールを投げてもらって、バッティングの回数も意識しながら、仲間にアドバイスをもらいながら練習しています。
――バッティングの強化に取り組んだ成果は実感していますか。
はい。春の県大会と関東大会で、1本ずつホームランを打っています。勝負強さというところも、関東大会ではそれほど打点を稼ぐことができなかったんですけど、春の県大会では勝負強さが随所に出たので、そこを夏の大会でも出していければいいかなと思います。
――森田君は静岡出身ですが、なぜ群馬の健大高崎を選んだのですか。
母の影響もあるんです。母も高校時代に静岡から健大高崎(当時は群馬女子大学附属高校)に入学して、女子ソフトテニス部に所属していたんです。今の加藤陽彦校長がちょうどテニス部の顧問だった時なんです。母はテニス部のキャプテンもしていて、インターハイで全国優勝もしているんです。自分も部活は違うのですが、日本一になりたいと思って健大高崎に入学しました。
――初めての群馬での生活に戸惑いはなかったですか。
実家にいるのが好きなので、群馬に来た最初の頃は家に帰りたいなと思いました(笑)。でもここの環境はすごく良いですし、3年間野球に打ち込めるなと思って入学を決めたので、決めたからには親に感謝の気持ちを込めてやらなければいけないなと覚悟を決めました。
――同じ学校の先輩として、夏の大会に向けてお母さんからは何かアドバイスはありましたか。
いろいろアドバイスをもらうんですけど、「自分の結果はどうでもいい。とにかくチームが試合で勝つために、自分にできることをやりなさい」と母から教えてもらって、春の大会でもそのことを意識してやっていたら結果が出たんです。母のアドバイスは絶対に正解だと思うので、夏の大会でもチームのためにできることをもっとやっていきたいです。
――健大高崎という群馬を代表するチームのキャプテンをする上で、大変だったこともあるんじゃないですか。
新チームになったときは、この代のチームは個性が強いというか、いろんな性格の選手がいる印象が強かったので、一つにまとめるのが難しかったですね。その個性もつぶしてはもったいないなと感じていて、全員がやりやすい環境を作るというのを一番大事にしてやってきました。「甲子園に行こう」という言葉がみんなをまとめてくれて、秋の関東大会ぐらいからようやくチームが一つになってきたと感じました。
――お母さんからキャプテンとしてのアドバイスは?
母が、昨夏の大会を見ていて、選手と指導スタッフ、特に監督さんとの距離を感じたそうなんです。「客観的に見て、選手と監督さんがもっと一緒になって戦ったほうがいいんじゃないの」とアドバイスされました。「何をしたらいい?」と聞いたら、「得点が入った時に監督さんとハイタッチをするのはどう?」と言われて、それを実践してからチームに一体感がでましたし、監督さんも今までも選手たちのことを第一に考えてくれていたのですが、よりそれを考えてくれているんだなと感じられるようになりました。
――お母さんを夏の甲子園に連れていきたいですね。
はい。夏は甲子園で勝って、校歌を歌っている姿をますは母に見せたいです。
――夏は個人としてどれぐらいの成績を残したいと思っているのですか。
たとえ、自分がヒットを1本も打てなくてもチームが勝てればいいので、自分の成績についての目標は持たないようにしています。正直、個人の目標がチームの目標になってしまうので、まずは8年ぶりの夏の甲子園出場をつかむために、自分がチームのためにできることを全力でやることを目標にしていきたいです。
――春の関東大会でも優勝し、今夏は群馬の優勝候補の筆頭です。技術的には県で断トツの力があると思いますが、あとはメンタル面の調整ですか。
前橋育英とは決勝で何度も敗れているんですけど、昨年は樹徳だったんですけど、自分たちがその2チームに劣っていたのは技術ではないと思います。技術はあってもそれを発揮できる心が一番大切なのかなと、自分もこの2年間を通して感じました。心の部分も大事にして、自分たちの力を発揮していきたいと思います。
――最後に、将来の夢は何ですか。
大学の教育学部に進学して、教員免許を取りたいと思っています。将来の夢は野球の指導です。
<了>