2005年にJリーグに参入してから来年で20周年を迎えるザスパ。その節目となる2025シーズンをJ3で過ごすことになるが、この降格が2030年にJ1に昇格するという目標を叶えるためのクラブ再生の原動力になってほしいと願う。
11月12日の細貝萌氏の社長代行兼GM就任会見の発言を引用しながら、経営陣のクラブ改革の本気度を探った。
星野志保(EIKAN GUNMA編集部) 写真提供/ザスパ群馬
細貝萌氏が社長に就任。会長の赤堀洋氏と共にクラブ再生に取り組む
来シーズンのJ3降格が決まったザスパ群馬。
「今シーズン、リーグ最下位の成績に終わってしまったこと、なかなか勝利をファンの皆さんにお届けできなかったことを、ファンやサポーターをはじめすべてのステークホルダーの皆さまに心からお詫び申し上げたいと思っております。クラブとしてはこの結果を非常に重く受け止めております。組織はもちろんクラブ運営の仕組み、体制といったものをすべて見直し、ゼロからやり直すぐらいの覚悟で取り組んでまいりたいと思っております」
11月12日の細貝萌氏の現役引退に伴う社長代行兼GM就任会見の冒頭に株式会社ザスパの代表取締役社長・赤堀洋氏が語った言葉だ。
クラブの経営改革の手始めが、前橋市出身で、前橋育英高校から浦和レッズに加入し、その後ドイツのブンデスをはじめトルコ、タイの海外リーグでプレーし、日本代表としても国際Aマッチに30試合出場した細貝萌氏を2月1日付けで社長代行兼GMに、4月1日の定期取締役会で代表取締役社長兼GMに就任させることだ。
会見で赤堀社長が明かした細貝氏の社長就任の理由は、「名実ともに、ザスパ再生のシンボルにふさわしい細貝さんに社長になっていただくことが最良の選択で、クラブのために一番いいと思った」からだ。主要株主などのステークホルダーに相談しながら、10月初旬に細貝氏に社長就任を打診した。
職業経験のない選手が、現役引退後すぐに代表取締役社長に就任することに不安を感じる人もいるだろう。だが、選手からいきなり社長になったケースは、決して珍しいことではない。Jリーグでは、昨年、現役引退後に所属クラブの社長に就任したレノファ山口の渡部博文氏がいる。引退後すぐにではないが、所属したクラブの社長に就任したセレッソ大阪の森島寛晃氏や現Jリーグチェアマンでコンサドーレ札幌の社長を務めた野々村芳和氏の例もある。
赤堀氏も、「森島寛晃さん、渡部博文さん、Jリーグの野々村芳和チェアマンと、細貝さんの経歴を照らし合わせた時に、群馬の前橋出身で、キャリアの最後の地元クラブで引退したこともあって、最も相応しい人物なのかなと思っています」と、社長抜擢の理由を語っている。
今や学生が起業し、社長を務める時代。企業人としての経験よりも、「会社をどうしたいのか」という明確なビジョンを持ち、掲げた目標に向かってスタッフをまとめ、設定した期限までに達成するマネジメント能力を持つ方が大切なのではないだろうか。
また細貝氏にビジネス経験がない部分は、現在社長を務める赤堀氏が代表取締役会長としてマネジメントを分担する。
具体的には、赤堀氏が事業戦力、管理部門、海外のクラブを含めた戦略的なアライアンス(戦略的提携)、GCCザスパークの指定管理事業、マーケティング、フランチャイズ事業、Jリーグやサッカー協会との連携を担当する。いわゆる経営の核になる部分である。
細貝氏はGMを兼務することもあり、トップチームのフットボール戦略作り、育成・普及部門のアカデミーの強化といったサッカーに直接かかわるところと、スポンサー営業、ホームタウン活動、イベントのところを担当する。
特に育成部門の強化は、ザスパの長年の課題でもあり、改革が急務である。なぜならJリーグにはホームグロウン(HG)制度があり、12~21歳の間で990日以上(連続していなくてもよい)自クラブに登録していた選手を、J2とJ3では各シーズン2人以上をトップチームに登録しなければならないからだ。HG選手が規定数に満たない場合は、罰則として翌年のプロA契約25人の枠から不足人数が削られる。ザスパの場合、2024シーズンのHG選手が1人だったため、2025シーズンはプロA契約の人数が24人となる。ちなみに、2024シーズンにHG選手の人数が規定数に達しなかったJ2のクラブは、ザスパ、いわきFC(0人)、藤枝MYFC(0人)の3クラブのみ。いわきは2022年にJ3入りし、翌年J2に昇格。藤枝も2014年にJ3入りし、2023年にJ2に昇格したクラブで、両チームともザスパに比べJリーグでの歴史は浅い。ちなみにHG選手を多く輩出したのが清水エスパルスと大分トリニータ(11人)、次いでモンテディオ山形(7人)、ヴァンフォーレ甲府、愛媛FC(6人)、ベガルタ仙台(5人)、栃木SC、V・ファーレン長崎、ロアッソ熊本(4人)と続く。ザスパは、育成部門の改革に早急に取り組まなければならない。
さらに、スポンサー営業にも注力しなくてはならない。J3に降格したことで、既存スポンサーが離れてしまう可能性もあり、その引き留めはもちろん、新規のスポンサーの獲得が欠かせない。群馬で抜群の知名度がある細貝氏が営業に関わることで、スポンサーの引き留めと、新規のスポンサーの獲得に有利に働くだろう。J3に降格する来シーズンは、経営の基盤を安定させるためにもスポンサー営業は重要な部分である。
2025年2月1日に社長代行兼GMに、4月1日の定時株主総会で代表取締役社長兼GMに就任する細貝氏は、どんな経営ビジョンを持っているのだろうか。
「まずは自分がしなくてはいけないことは、クラブの現状を把握すること。クラブのことはある程度は知っているつもりですが、より深く把握して、今後、何をしていかないといけないのかも含めて、赤堀さんと連携を取りながら前進していきたいと思っています。その中で僕自身の海外での経験、ビッグクラブと言われるようなところでもプレーしたこともあり、そこでの経験を生かしながら、少しでもクラブが良い方向に行くように、どんどんトライしていきたいと思っています」
来シーズンはJ3に降格するものの、2023年1月の社長就任会見時に赤堀氏から語られた中期事業計画に変更はない。2030年にJ1昇格、売上高20億円、平均入場者数1万2,000人を目指す。
J3降格を招いた守りの経営の反省を生かす
クラブ再生に取り組むためには、経営基盤の強化と共にチーム改革も必須だ。
2023年は、クラブ最高順位の11位を記録。その結果を受けて、2024年も大槻毅監督の続投を決めたが、勝てない状況が続いたため5月に解任し、ヘッドコーチの武藤覚氏を内部昇格させ、シーズン途中で補強を行ったものの、リーグ最下位から脱出できずJ2残留は叶わなかった。
細貝氏の社長代行就任会見で赤堀氏は、クラブの経営体制の変更を決断した理由について語った時、プロスポーツクラブ経営の難しさをこう明かした。
「降格はJリーグにおいて避けて通れないリスクです。正直に申し上げますと、今シーズンのスタート時点で(そのリスクを)あまり意識していなかったというのが本音です。昨シーズン、大槻毅前監督がJ2リーグ22チーム制になってから(11位という)過去最高成績を収めました。一部のベテランは退団しましたが、多くの選手が残り、ポイントを抑えた補強をし、万全の態勢でシーズンに臨みました。今思えば、その時にもう少し考える必要があったと感じておりますし、今でも自問自答しています。この成績に陥ってしまった理由を聞かれることもたくさんあるのですが、『リスクを取らなかったこと』が失敗だったと自分自身で分析しています。
J1の上位チームやヨーロッパのビッグクラブとされるチームであれば、成績の良かったシーズンの翌シーズンは、キープコンセプト(前年を引き継ぐこと)になるのは当然の判断だと思いますが、我々のようなまだ上を目指さないといけない、もがき苦しんでやっと這い上がっていけるようなクラブがそこで守りに入るのは、結果論ではありますがミスジャッジだったと言わざるを得ないと感じています。大いなる反省と捉えて、今後はリスクをとってしっかりチャレンジすることにフォーカスしていかないと、このクラブは絶対に上には行けない。(先ほど)失敗とあえて言わせていただきましたが、クラブとして今回、学んだことも非常に大きいのかなと思います。当然のことながら、この成績でお客さんが喜んでくれるわけはありませんし、チケットの売り上げ、入場者数にも明らかな影響が出ています。まずは強いチームを作って、勝つ姿を見せるというサッカーの原点を目指していきたいと思います」
まずメスを入れたのが、2020年から強化本部長を務める松本大樹氏の退任だ。そして2017年以来のGM職を置き、細貝氏が社長と兼務する。強化部長には佐藤正美氏が強化担当から昇格。さらに、FC東京や大分トリニータ、セレッソ大阪、V・ファーレン長崎などで強化に携わってきたアカデミーダイレクターの上釜広行(うえかま・ひろゆき)氏が強化担当を兼務する。J1クラブで育成部門のスカウトに携わってきたこともあり、有望な若手選手の獲得に期待したい。
そして、もう一つ改革の本気さを感じるのが、これまで手を付けられなかったザスパ草津チャレンジャーズに手を付けたことだ。ザスパがJリーグに参入した2005年にチャレンジャーズのコーチとなり、2012年から監督としてチームを率いてきた木村直樹氏の退任が11月29日にクラブから発表された。木村氏はザスパの前身チームであるリエゾン草津の立ち上げからの選手であり、長年ザスパに携わってきた人物。クラブ発祥の地・草津を拠点に、チャレンジャーズの選手たちはホテルや旅館など草津町で働きながらサッカーに取り組み、トップチームへの昇格を目指しているが、なかなかトップチームに選手を輩出できるレベルの選手を育てられていない状況である。さらには選手獲得にも苦戦している状態が続いており、チャレンジャーズの存在意義を問われる状況が続いていた。
今回、アカデミーだけでなくチャレンジャーズにも改革の手を入れたことは、クラブが変わる第一歩と前向きに捉えたい。木村監督に後任は、同じくリエゾン草津時代にGKとして所属していた西村孝允氏が就くが、チャレンジャーズがどう変わっていくのかにも注視したい。
さて、話を補強に戻すと、現在、来シーズンの監督を含め、選手獲得交渉の真っただ中にあり、新監督や新加入選手の発表が待たれるところだ。11月末時点で、契約満了になったのは、現役引退の細貝氏とFCティアモ枚方に育成型期限付き移籍をしていた中田湧大選手を含め8選手。
J3に降格したとはいえ、中期事業計画を達成するためには1年でのJ2復帰が求められるが、潤沢な予算がない中で、ザスパはどんな選手を獲得すべきなのだろうか。今シーズンが終わった翌日、退任の決まった武藤監督が記者の囲み取材にこう応えている。
「チームの色を出すことが大事で、サッカースタイルに合わせた選手を選ぶのは当然のこと。予算が限られる中で、高卒、大卒を含め、経験がなくても伸びしろのある選手を集めてくるとか……。実際にそういうチームもあります。レンタル選手を多くするのは良いとは言えませんが、これからはチームとして、『こういう選手を集めてくるんだ』という明確なものが必要になってくるのかもしれません」
まったくもって当然の意見だ。
ザスパは来シーズン、2度目のJ3で戦うが、クラブ経営の面では希望が持てそうだ。まず、経営のトップである赤堀氏が、リスクを取らなかった今年のクラブ経営を「失敗」と反省し、「組織はもちろんクラブ運営の仕組み、体制といったものをすべて見直し、ゼロからやり直すぐらいの覚悟で取り組んでまいりたい」と語ったからだ。2005~06年にクラブ再生に取り組み成果をあげた本谷祐一氏(事業統括本部長→専務→社長)を除き、これまでのザスパのトップの発言には見られなかったこと。
だからこそ、リスクを取り、クラブ経営に本腰を入れて取り組もうとしている赤堀氏、そして地元クラブで現役を終え社長になる覚悟を決めた細貝氏の2人に期待したい。20周年を迎える2025年は、ザスパが将来J1に昇格した時に「飛躍元年だった」と思えるようなシーズンにしてほしいと願う。
<了>
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