前橋市出身で元日本代表サッカー選手の細貝萌が、地元のクラブであるザスパ群馬で20年間の現役生活に終わりを告げた。引退会見が2024年11月12日に前橋市内のクラブハウスで行われ、細貝はあふれ出る涙に声を詰まらせながら、ザスパへの思いや応援してくれた人たちへの感謝の気持ちと共に、これまでのサッカー人生を振り返った。
文/星野志保(EIKAN GUNMA編集部) 写真提供/ザスパ群馬
「2005年にプロサッカー選手になってから、あっという間に20年経ってしまったなという思いです。僕自身、プロサッカー選手を夢見て、小さい頃からずっとサッカーをやってきた中で、たくさんの方に支えてもらって、たくさんの方が自分のことを気にかけてくれて本当に幸せな20年間だったと思います。そしてこの20年間、サッカーが自分に与えてくれたものはすごく大きくて、本当に自分の人生のほとんどのものをサッカーが与えてくれました」
自らの人生をこう振り返った細貝。
地元のクラブで現役を終えることに「すごく幸せ」と群馬愛を語ると共に、「もっとサッカー選手として、ピッチの上でチームを勝たせることができるような選手でいたかった」と、ザスパのJ3降格に悔しさをにじませた。
細貝は、ザスパがJリーグに参入した2005年に、浦和レッズでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。2011年からドイツ、トルコと海外クラブでプレーし、2017年に柏レイソルに移籍。2019年にタイに渡り2021年9月にシーズン途中でザスパに加入した。その理由について細貝は「いつかは自分が生まれ育ち、自分を成長させてくれた故郷のクラブであるザスパクサツ群馬で、群馬のためにプレーしたいと考えていたこともあり、この度いただいたオファーを受けることを決めました」と、「故郷を離れてからいつも気になる存在だった」とザスパへの思いを口にしている。
「一つでも多くのチームの勝利に貢献できるよう、一人でも多くの地元の皆さんに正田醤油スタジアム群馬に足を運んでいただけるよう、地元出身の選手としてベストを尽くしていきたい」と加入時に意気込みを語っていたが、念願の地元クラブでの時間は決して満足のいくものではなかった。途中加入した2021シーズンは6試合に出場し、ザスパは18位でJ2残留を決めた。翌シーズンは第3節に負った左足関節脱臼骨折で戦線離脱。それでも20試合に出場し1得点を挙げている。この年、ザスパはシーズン終盤までJ2残留争いを繰り広げ20位に沈んだ。2023シーズンはチームとして過去最高の11位を記録した半面、細貝自身はわずか7試合の出場に留まり、今シーズンに至っては、わずか4試合の出場だった。しかも今シーズンは11月10日の最終戦を待たずに、9月28日に早々とチームのJ3降格が決定。リーグ戦わずか3勝というクラブ史上最低の成績だった。
ここ2シーズンはなかなか試合に出場できず、選手としてチームに貢献できない状況に、「引退」を意識するようになった。家族と引退の話をするようになったのが今シーズンの中頃のことだった。「サポーターやファンなどザスパを応援してくれる人たちになかなか勝利を届けられなかった。最年長である僕の責任は大きい」とプロサッカー選手を辞める決断をした。
しかし細貝は、この決断を家族以外には一切、話さなかった。それは、「なかなか結果を出せないチームの悪影響になる。チームの邪魔だけはしたくない」と考えたからだ。ザスパ愛を感じさせる彼らしいエピソードだ。
実は、ザスパでキャプテンを務めた2022年と23年にも引退を意識したことがあった。低迷する成績の中で、「自分がキャプテンになったシーズンで、もしも降格してしまったら、責任を取ってサッカーを辞めると(クラブに)言うつもりだ」と家族に伝えていた。この2シーズンはかろうじて降格を免れたため現役を続行した。
細貝の引退会見には浦和レッズの記者たちも駆け付け、レッズサポーターの反応を聞いていた。
「2005年に前橋育英高校を卒業して、浦和レッズという日本のビッグクラブでプロサッカー選手としてスタートしました。たくさんの方々の前でプレーしたいという気持ちを持って浦和レッズに加入させてもらい、ヨーロッパに行く前は日本代表にも入っていたものの、浦和レッズのために素晴らしい結果を残すことができなかった。今でも申し訳ない気持ちです」と涙で言葉を詰まらせながら、「今でも自分を若い頃から知っている方々から、今回の引退に関してたくさんのメッセージをいただきました。たくさんの方に支えられた(浦和での)6シーズンだったなと思っています」と続けた。
10月23日の引退発表から11月12日の引退会見までの間、細貝のもとには多くのメッセージが届いた。インターネット上のコメントはすべて自分で文字に起こして読み返したほど、多くの人たちに支えられたサッカー人生に幸せを感じた。
また浦和レッズの担当記者から若い選手や試合に出られない選手たちへのアドバイスを求められた際に、プロキャリアのスタートに浦和レッズを選んだ理由をこう明かした。
「前橋育英高校を卒業する時に、『浦和レッズに行かない方がいい』という助言をたくさんいただきました。『浦和レッズというビッグクラブには、日本代表選手がいて、オリンピック選手も含めて(才能のある)若い選手がたくさんいる。試合に出ることを考えたら、やはり他のクラブに行った方がいい』との意見があった中で、僕自身はたくさんの方の前でプレーしたい気持ちと、試合に出ることよりもたくさんの素晴らしい先輩方の中で、プロサッカー選手のスタートが切れるところに魅力を感じました。その環境でプレーさせてもらったことが、サッカー人生の20年を作ってくれたのは間違いないので、浦和レッズにはすごく感謝しています」
厳しい環境に敢えて身を置き、自分を磨く。細貝らしい考えだ。それを実践してきたからこそ、日本代表にも選ばれ、海外でもプレーするなど20年も現役を続けられた要因なのだろう。2月1日から株式会社ザスパの社長代行兼GM、4月1日からは代表取締役社長兼GMとして、ザスパというクラブを背負いく。
■プロフィール
細貝 萌(ほそがい・はじめ)
1986年6月10日生まれ、前橋市出身。ポジションはMF。前橋広瀬FC~前橋南FC~FC前橋ジュニアユース~前橋育英高校(浦和レッズ特別指定選手)~浦和レッズ~バイエルン・レバークーゼン(ドイツ)~FCアウクスブルク(ドイツ/期限付き移籍)~バイエルン・レバークーゼン(ドイツ)~ヘルタ・ベルリン(ドイツ)~ブルサスポル(トルコ/期限付き移籍)~VfBシュトゥットガルト(ドイツ)~柏レイソル~ブリーラム・ユナイテッドFC(タイ)~バンコク・ユナイテッドFC(タイ/期限付き移籍)~バンコク・ユナイテッドFC(タイ)~ザスパクサツ群馬/ザスパ群馬(2021年9月~2024)。J1リーグ120試合出場5得点、J2リーグ37試合出場1得点。代表歴/U-16、U-17、U-18、U-21、U-22(北京オリンピックアジア二次予選・最終予選)、U-23(北京オリンピック)、日本代表(2010~14年)。国際Aマッチ通算30試合1得点。獲得タイトル/浦和レッズ時代:<2005年>天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝、<2006年>FUJI XEROX SUPER CUP優勝、J1リーグ優勝、天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝、<2007年>AFCチャンピオンズリーグ優勝。日本代表時代:2011年AFCアジアカップ優勝。