エースで4番。熱く本気で野球に取り組んだ3年間
須藤奨太(すどう・しょうた)
3年・投手
2005年6月18日生まれ、安中市立第二中学校出身、174㎝・87㎏、左投左打
昨夏、2年生ながら背番号1を背負ったエースが、経験を積んで再び夏のマウンドに戻ってきた。エースとして4番打者として、責任の重さに潰れそうになりながら、高校野球に情熱を燃やした。
取材/Eikan Gunma編集部
――エースで4番と、投打の軸でもあります。チームを勝たせなきゃいけないというプレッシャーはありますか。
プレッシャーは結構あって、正直、しんどい部分はあります。学校をはじめ皆の期待があるため、そういう面でうまくいかないことがあると焦りを感じて、それが態度に出てしまい、昨日、監督から怒られたばかりなんです。
――怒られたことで気持ちの変化はありましたか。
自分が態度に出したのも悪いので、今日は練習に出ようか迷ったんですけど、今の自分が練習に出たらチームの雰囲気を悪くするかもしれないので、今日は練習には出ずに、一度、心を落ち着かせる時間にしようと思い、寮にいました。自分が、エースで4番を打っていて、このチームの大黒柱だと感じていて、昨日みたいに態度に出したらチームの雰囲気を悪くしてしまうし、チームメイトもやりにくいと思うんです。そういう自分の弱さを夏までに直します。
――須藤君の代で、昨秋には創部以来初の県大会準優勝をしただけでなく、春も準優勝し、秋と春共に関東大会に出場しました。チームに結果が出ていることはどう感じていますか。
秋に続いて春に関東大会に出場できたことは、自分の自信にもつながりましたし、自分たちの実力で関東大会に行けたという証明にもなりました。
――関東大会で、全国レベルの強豪校と対戦しましたが、その中で得たものは何でしょうか。
常総学院といった強豪校と試合をして感じたのは、彼らは甘く入ったストレートを見逃さないで強いスイングで打たれますし、少しでも真ん中に球が行くと、すぐに長打にされてしまうことです。関東大会に出たことで、もっとコントロールを磨く必要性を学びました。
――普段の練習ではどれぐらいブルペンに入って投球練習をしているのですか。
週に1回ぐらいしかブルペンには入らないですけど、(春の)関東大会が終わってからは週2~3回ぐらいに増やしています。
――持ち球は?
真っすぐ、カーブ、スライダー、チェンアップ、カットボールです。
――須藤君の球を受けているキャッチャーの生方公英君は、もともとピッチャーだったそうですね。
生方はもともとピッチャーで、去年ぐらいまでライバルみたいな感じだったんです。1年生強化試合(若駒杯)の時、生方が中学時代にちょっとだけキャッチャーをやったことがあると聞いて、その大会でバッテリーを組んだことがあったんです。それで若駒杯が終わった後に、自分が「日本一のバッテリーになろう」と生方に言ったんです。
生方も高校ではピッチャーをやると決めていたので、「簡単にはピッチャーをやめられない」という強い思いもあったんですけど、最終的には自分のことを信じてくれたので、「一緒に日本一のバッテリーになろう」と言いました。キャッチャーに転向してくれた生方には感謝しています。
野球部の中では生方と一番仲が良くて、互いに何でも言い合える関係なんです。自分がダメなことをした時も生方はちゃんと指摘してくれるし、昨日も自分を心配してLINEを送ってくれたんです。生方はいつも自分に寄り添ってくれるので、とても信頼しています。
――須藤君は2年生からレギュラーでしたね。
2年生の春からです。昨年の夏も投げています。
――2年生から公式戦で投げていることで、マウンドで緊張して力が出せないということはないですね。
昨秋の関東大会で、満員のお客さんの前で投げるのは初めてだったので、緊張から初回にファーボールを出してしまったんですけど、もう同じミスはしないと冬の練習に入る前から決めていたんです。そのおかげで春の準決勝の商大附戦では、たくさんのお客さんの中でも緊張することなく、自分のピッチングができました。
――春の関東大会でも大勢の観客の前で投げていますが、そういう経験は夏の大会を勝ち抜くためにもプラスになりますね。夏までにどんなところを磨いていきたいですか。
変化球の精度も上げていかないといけないですし、ストレートは通用すると思っています。今一番自分に足りないのが、上手くいかないことがあったら人に当たってチームの雰囲気を悪くしてしまうことなので、夏までには直したいです。
――昨日から、須藤君が自分の心と向き合っているときに、チームメイトたちは温かく見守ってくれていますね。
ありがたいですね。
――ピッチングについて話を戻しますが、今、最速はどれぐらいですか。
146キロなんですけど、150キロぐらいは投げたいので、ウエイトトレーニングに取り組んでいます。
――須藤君は攻撃でも主軸の4番を打っていますが、バッティングで夏までに強化したいところはありますか。
自分のバッティングの魅力はフルスイングで、監督も強く振ることを期待してくれていると思うので、どんなにいいピッチャーと対戦したとしてもフルスイングをしたいと思います。
――ピッチングとバッティングの両方に力を入れて取り組まなければならないですが、大変だなと思うこともあるのではないですか。
たまに、嫌になることもあります(笑)。自分が強豪校ではなく、これまで1回も甲子園に行ったことのないチームに来たのは、「自分が強くする」という思いがあったからなんです。だから、いくら練習が大変でも「それくらい当たり前」みたいに思って練習をしています。
――なぜ、明和県央を選んだのですか。
兄が明和県央のサッカー部に入っていて、学校の施設を見た時に、「結構、いいな」と思ったんです。
それから、自分は日本ハムの吉田輝星選手に憧れていて、金足農業高校時代に数々の強豪校を倒して甲子園で準優勝したのをずっとテレビで見ていたので、自分も高校に行ったら吉田選手のように、チームを甲子園に連れていけるような選手になりたいと思ったんです。
――甲子園出場ではないですが、秋と春共に県で準優勝し関東大会に出場するというチームの新たな歴史を作りましたね。
自分だけじゃなく、チームメイトのおかげでもあります。本当にありがたいです。
――夏の大会で、手ごわいなと思うチームはどこですか。
健大高崎と前橋育英です。あと自分は、商大附のピッチャーの星野空さん。春の大会で打席に立ったとき、自分がこれまで見てきた中で一番いい真っすぐを投げていたんです。
健大は、足を使って来るし、真ん中に投げればホームランを打たれるし、1~9番まで全員が打てるというところが一番厄介です。
前橋育英には、幼稚園から中学までずっと同じ学校だった小田島大成がいるんです。前橋育英のキャプテンです。コロナで休校中だった時もずっと2人で近くの野球場に行って、自分が投げて、小田島が打つという練習をしていました。その時に小田島に投げた球を全部打たれてしまって、1つも勝てなかったんです。
夏は、商大附と健大と前橋育英から打ちたいですし、絶対に点を取られないようなピッチングをしたいです。
――高校卒業した後は、地元の企業に入り軟式野球をするそうですね。大学や社会人で野球を続けたいという思いはないのですか。一生懸命に野球に取り組んだから悔いはないという思いなのですか。
実は、中学の時に野球をやらずに卓球部に入ろうと思っていたんです。その時に野球部の顧問の先生から「野球部に来てくれないか」と言われ、それで野球を続けることにしたんです。高校では、1回高校野球をやってみたくて、すんなりと野球部に入りました。「野球は高校で絶対に終わりにしよう。3年間では本気で熱く野球に取り組もう」と思って、明和県央に入学しました。
――中学は安中第二中学校でしたが、安中市から明和県央に通うのは大変じゃなかったですか。
家から高校まで、自転車で片道約1時間45分かかりました。川沿いをずっと自転車で走っていくんですけど、冬は足が凍ってしまうぐらい寒くて自転車を漕げなくなるんです。学校に寮ができると聞いたので、2年生から寮に入りました。
――結構、大変な思いをして高校に通って、エースとして4番としてチームを引っ張るまでに頑張ってきたのですね。塩原元気監督からも話を聞いて、須藤君はこれまで努力し続けてきたことを感じます。須藤君は左投手ですけど、右でも投げられると聞いています。
中学1年から右でも投げ始めました。兄の友達で、安中第二中のショートをやっていた先輩に憧れて自分も右投げを練習しようと思ったのがきっかけです。部活では左で投げて、家に帰ってからひたすら右投げで壁当てをしていました。
高校に入ってからは試合では1回も左で投げていないんですが、中学の時は右でも投げさせてもらいました。安中第二中学の時の顧問の先生は、自分をピッチャーとしても成長させてくれた人なんです。自分のためにいろんな練習方法を考えてくれたりして、中学入学時に110キロだった最速が、中学の部活引退時には130キロまで伸びました。
――高校野球最後の大会になる夏の大会の目標を教えてください。
自分は小学校の時から上手くいかないことがあるとすぐ不貞腐れる性格で、今でもそういうところはあるんですけど、小中学校の時はもっとひどかったんです。中学の時の顧問の先生は、そんな自分を人としても成長させてくれた人なので、中学校の顧問の先生と親に甲子園で投げて活躍している姿を見せたいです。
努力し続けて迎えた夏の大会では、3回戦で高崎商業に敗れ、甲子園出場の目標は叶えられなかったが、熱く本気で取り組んだ野球を、次のステップでは存分に楽しんでほしいと願う。
<了>