祝・東京パラ銀メダル! 唐澤剣也のこれまでの歩みを紹介②

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2021年8月27日に夢の東京パラリンピックの舞台に立った唐澤剣也は、陸上男子5000メートル(視覚障害T11)で銀メダルを獲得した。「東京パラリンピックに出たい」と決意してから約5年で、世界2位の座を手にした彼のこれまでの歩みを、過去の2本の記事から紹介する。
2020年4月28日掲載


チームでつかんだ東京パラリンピック日本代表の座

唐澤剣也

2020年2月4日の東京パラリンピック出場内定を祝う会での(左から)茂木洋晃さん、唐澤剣也選手、清野衣里子さん

2019年11月の世界パラ陸上選手権5000メール(視覚障害T11)で銅メダルを獲得し、東京パラリンピック(東京大会)への出場内定を決めた唐澤剣也。
スポーツとは無縁だった彼が、パラリンピック出場を目指してわずか3年半で内定を手に入れた要因に迫った。

文/中澤真弥 写真/大澤進二 編集/星野志保

世界パラ陸上で
銅メダルを獲得

 昨年11月8日にアラブ首長国連邦のドバイで開催された世界パラ陸上選手権男子1500メートルで予選突破したものの、決勝では6位に終わり、この距離で東京パラリンピック(以下、東京大会)への出場を逃した。


 「レースが終わって自分でもかなり落ち込みました。落ちるところまで落ちたので、あとは這い上がるだけと思い、とにかくやらなければダメだと思いました」と気持ちを切り替え臨んだ11月14日の5000メートル。東京パラリンピック出場という唐澤の夢のために応援し続けてくれた人たちのためにも、絶対に負けるわけにいかなかった。


 その5000メートルでは、前半に伴走者の茂木洋晃(東京農大二高~東京農大出身)と共にスタートを切った。出場選手は12人。伴走者も入れると24人の混戦状態だったが、唐澤と茂木はスタートの位置取りに成功。順調なペースで維持しながら走り続けた。3000メートル付近で、元上武大駅伝部コーチでスカイランナーでもある星野和昭に交代。ラスト3周あたりからさらにペースを上げ、最後は得意のラストスパートをかけて4着でゴール。3位に入った日本人選手の和田伸也と共に、4位以内で東京パラリンピックに内定という条件を満たした。しかし、レースのラスト200メートルで和田のガイドランナーがロープを引っ張ったと判定されて失格となり、唐澤が繰り上げで銅メダルを獲得。出場の内定を決めた。


 試合直後のテレビのインタビューで、唐澤の伴走をした茂木と星野は、このレースのこう振り返った。

「勝負は後半だと思っていたので、前半はしっかり余裕をもっていい位置で(後半の)星野さんにつなげれば、必ず結果に出るという気持ちで落ち着いて(レースに)臨めたので、よかったと思います」(茂木)

「茂木が余裕をもっていい位置で唐澤のポジションをしっかりとってもらって、ガイドの仕事で順位を狙う作戦で行きました」(星野)


 作戦が奏功し、5000メートルで銅メダルと東京パラリンピック出場内定を手にした唐澤は、レポーターの「初めての世界選手権。いい大会になりましたか」との問いに、「課題はいっぱい見つかりましたし、この暑い環境の中で4位をとれたことは来年(東京大会)につながると思います」と力強く答え、さらなる飛躍を誓った。


 世界中で蔓延する新型コロナウイルスの影響で、大会の開催が1年延期。東京パラリンピックは2021年8月24日から開催されることになった。日本パラ陸連は、現在、開催日変更に伴い、日本代表推薦選手の選考について改めて発表するという。

競技スタートから
わずか3年でつかんだ夢

取材であるたびに自信をつけている唐澤選手

 唐澤は生まれつき弱視で、10歳のときに網膜剥離によって両目の視力を失った。幼いころから身体を動かすことが得意で、盲学校時代に関東地区盲学校競技会で、1500メートル走の最高記録を打ち出した。その後、鍼灸師の資格を取得し、群馬県社会福祉事業団点字図書館での就職が決まると、スポーツとはかけ離れた生活を送っていた。


 そんな唐澤が東京大会を目指したのは、2016年に開催されたリオデジャネイロ大会がきっかけ。テレビから聞こえる大きな声援。自分と同じ障害を持った選手の活躍に感動し、心を奪われた。「いつかあの舞台に立ちたい」と、夢を見つけた瞬間だった。


 しかし、選手としての道のりを一人では乗り越えることができない。何よりも伴走者が必須の競技だからだ。それは唐澤の目となり、視覚的情報を伝えるためのガイドだ。さらに、競技未経験の唐澤には、競技の技術や指導を受けるコーチも必要だった。


 唐澤の夢を応援してくれたのは、前橋市内にある鍼灸マッサージ院「からだの地図帳」を経営する清野衣里子さんだった。「2020年の東京パラリンピックに出場したい」と言った唐澤に、「人を巻き込むことだから、本気でやるなら協力する」と背中を押してくれた。


 こうして発足したのが、唐澤剣也を応援するための事務局「からけん会」。東京大会に向け、海外遠征や合宿に備えた寄付、伴走者の募集を開始。伴走者も清野さんの縁で、星野さんを紹介された。今では伴走者は東京の応援者や地元大学生を含め12人に増え、唐澤の練習や合宿などに交代で付き添っている。


 競技歴は浅いものの、順調に結果を出し続けてきた唐澤だったが、東京大会出場の内定が決まるパラ陸上世界選手権まであと2カ月に迫った昨年9月初旬に、右足脛骨に疲労骨折が発覚。走れないことへの焦りや不安が唐澤を襲った。
「3週間、まったく走らなかったので、その期間は本当につらかったです。『多少痛みがあっても走らなければ』と思いましたが、星野さんに『今はとにかく我慢だ』と言われ、走れない期間は伴走者の小野豊さんにサポートしていただき、体幹トレーニングやプールを使った心肺機能を高めるトレーニングで体を鍛えてきました」と気持ちを切り替え、身体機能をアップさせる練習に切り替えた。


 この走れない期間が、選手としてさらに結果を意識させただけでなく、「走りたい」という気持ちをも奮い立たせた。唐澤にとっては初めての挫折だったが、競技への意欲をさらに掻き立てる時間にもなった。

唐澤の伴走者を務める茂木洋晃さん

 2月4日に前東京大会出場内定の唐澤を祝う会が橋市内で行われた。その席で、世界パラ陸上で唐澤の伴走を務めた茂木に話を聞くことができた。

 唐澤との出会いは2018年。「高校時代から清野さんにお世話になっていました。大学卒業と同時に陸上の引退を報告しに行ったところ、唐澤さんの伴走者を探していたので、2年ほど前から参加しました。初めての大会は山口の防府マラソンでした。当時、東京パラまでは正直考えていませんでした。私自身、陸上を続けるかどうかわからないところだったので、ぼやっとしていましたね。だけど、唐澤さんが走るたびに記録が伸びていって、自分の経験と重なる部分が多くて、陸上を始めたころを思い出しました。唐澤さんを通じて陸上の楽しさを改めて感じました。やっぱりまだ続けたいなと思いましたね。今は唐澤さんの成長を見ながら自分自身も成長させてもらっている感じです。ドバイの時は、『からけん会』というチーム全体の結果がようやく一つになった瞬間でした。パラリンピック出場を目標にやってきたので、個人競技では得られない一体感を味わいました。星野(和昭)さんや清野さんをはじめ、チームの思いを全て含めた嬉しさでしたね。本当にホッとしました。とにかく伴走者としての仕事を全うしようと決めていたので、競技が終わってから、いろいろこみ上げてきました」


 唐澤の今後の課題は、「気持ちが上がったり下がったりすることが多いので、大きな大会へ出場する時のメンタル面を鍛えていくことですね」とさらなる成長を求める。

内定を祝う会で、出席者から激励を受けていた唐澤は、2021年8月に延期となった東京大会に向け、こう抱負を語った。


 「基本的な練習をベースにこれから上げていきます。順位や記録を意識しながら行っていきます。内定をもらいましたが、結果としては世界パラ陸上5000メートルで4着だったので、まだまだ練習しないと通用しないなと感じました。星野さんからは目標を高く持つように言われ続けています。東京に向けて頑張りたいです。応援し続けてくれた皆さんにメダルで恩返しをします」


 才能はもちろん環境にも恵まれ、東京大会への内定が決まった。リオで感動したあの日から早4年。思い描いていた夢舞台まで、あと1年4カ月となった。

<了>

■プロフィール
唐澤剣也(からさわ・けんや)
1994年7月3日、渋川市(旧小野上村)出身、前橋市在住。10歳の時に両目を失明。県立盲学校高等部専攻科理療科を卒業後、群馬県社会福祉事業団点字図書館にて勤務。2018年アジアパラ競技大会5000m金メダル、1500m銅メダル。2019年では、世界パラ陸上選手権5000m銅メダル。2020年東京パラリンピック代表として内定。視覚障害T11クラス。

※本文、プロフィールは2020年4月28日当時のもの