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2021年8月27日に夢の東京パラリンピックの舞台に立った唐澤剣也選手は、陸上男子5000メートル(視覚障害T11)で銀メダルを獲得した。「東京パラリンピックに出たい」と決意してから約5年で、世界2位の座を手にした彼のこれまでの歩みを、過去の2本の記事から紹介する。
2018年12月28日掲載
世界を目指す全盲のランナー
唐澤剣也
2016年に開催されたリオデジャネイロ大会。テレビから聞こえてくる大きな声援に夢中になった。「いつか自分も大舞台に立ちたい」。本格的に陸上競技を始めてわずか2年でアジアトップクラスへ躍り出た唐澤剣也。躍進し続ける彼のストーリーに迫る――。
文/中澤真弥 写真/高山昌典 編集/星野志保
競技経験ゼロからのスタート
5000mで金メダルを獲得
2018年10月にジャカルタで開催されたアジアパラ陸上5000メートルで金メダル、1500メートルでは銅メダルを獲得し2020年の東京に向け弾みをつけた。「この2年間は本当にあっという間でした。栄養面や睡眠など陸上をメインにした生活になっています。多くの人に支えられ応援していただき、いいモチベーションになっています」とイキイキした表情で語る唐澤剣也。
一人暮らしをする唐澤の1日は、朝6時からスタート。駅周辺を約1時間、伴走者と共に軽い運動を行う。その後は一駅先の勤務先へ。仕事終わりには、鍼灸マッサージ院「からだの地図帳」(前橋市)で伴走者と落ち合い、ストレッチを行うと市内のグラウンドで練習するのが日課となっている。平日は朝晩の練習と週末は記録会、合宿などに参加。県内でも育成強化選手として引き続き注目されている。
唐澤は先天性の弱視を持ち、10歳の時に網膜剥離で両目の視力を失った。小学4年生で県立盲学校へ転校。幼い頃は負けず嫌いな性格でよく泣いていたという。身体を動かすことが好きだった唐澤は盲学校で行われた関東地区盲学校競技会で1500メートル走の最高記録を樹立した。だが、学生時代は幅広くスポーツを楽しむ程度。高校卒業後は専攻科に進み、鍼灸師の資格を取得すると、群馬県社会福祉事業団点字図書館に就職した。半年ほどスポーツから離れた生活をしていたが、その年の9月に行われたリオデジャネイロパラリンピック大会の様子がテレビで流れていたのを耳にした。陸上を競技として意識した瞬間だった。
「自分と同じように障害を持ちながらも大舞台で活躍している選手たちに感動し、勇気をもらいました。それと同時にいつか自分もあの舞台で走りたいという夢ができました」
競技に出場するためには伴走者が必須。本格的な陸上競技は未経験のため、競技の知識や指導が行える陸上経験者が必要だった。また唐澤の目となり、視覚的情報を伝えながら走ることが不可欠。視覚障害を持つ場合、選手と伴走者の絆になるガイドロープを握り合い安全に走行することが条件となる。また走るスピードやカーブの角度など的確なサポートが行える競技力が求められている。
たくさんの応援に感謝
人に恵まれたことが結果に
「自分の周りには陸上経験者がいませんでした。マッサージ院を経営する清野衣里子さんに東京パラリンピックに出場したいと相談しました」
同院には陸上やバスケットボールなどさまざまなスポーツで活躍する学生や社会人の来院が多い。そこで唐澤は頼みの綱である清野さんに伴走してくれる方がいないかお願いをした。清野さんは「人を巻き込むことだから、本気でやるなら協力する」と言ってくれた。その言葉通り、同院に通うスカイランナーで駅伝コーチの経歴を持つ星野和昭さんを伴走者として紹介してくれた。唐澤を全力で応援するための事務局として「からけん会」を設立。海外遠征に備えた寄付や伴走者の募集など、支援の体制を整えてチームとして本格的に東京パラリンピックへ向けて動き出した。その後、星野さんの知り合いを中心に、さまざまな競技で活躍中のランナーたちが有志で集まり、支援の輪はどんどん広がり続けている。唐澤の夢を応援しながら彼らもまた、自分の夢や目標に向かって切磋琢磨し成し遂げようとしているのである。
「清野さん、星野さんを中心に本当にたくさんの方々に支えられて今があると感じています。本当に幸せだなと。アジアパラに出場し、結果を出すことができたのも応援してくれる人がいるからです。とにかくメダルという形で日本に持ち帰りたかったので、頑張りました」と周囲への人の感謝を噛みしめながら丁寧に話してくれた。彼の強さは人に恵まれたこと。これが急成長の要因にもなっている。
出場権を獲得するために
課題を乗り越えていく
2020年の東京パラリンピックへの出場は、18年10月から20年7月の間に開催される大会の結果で決まる。すでに重要な時期に入っている。順風満帆に思われがちだが、星野さん曰く、「現在の完成度は2割程度」。本格的な技術面や体力的なことはこれからだ。
「ストライドの課題を克服中。歩行時に地面を足で探るような動作が走り方にも影響しているので、伸びやかに走れるように少しずつ変えながら修正していくことで、今まで以上に最高の走りを見せてくれると思います。まずは5000メートルで15分を切ることが目標。想像しうるペースで来ていますし、思った以上にレースで結果を出します。それくらい練習し頑張っていますね」と星野さん。
鍼灸師の資格を持つ唐澤は、筋や腱など人体の構造の知識を持つ。伴走者の身体を使いながら目標とするフォームを手探りで把握するなど、理想のフォームを追求し続けている。
「今回、2つのメダルを獲得することができましたが、まだまだ世界のレベルには及ばないと実感しました。特に海外の選手と比べてスピードが足りませんし、積極的な心の強さも同時に磨いていきたいですね」
新たな課題を見つけた唐澤。東京パラリンピック出場に向けて躍進し続ける精神的な力強さがうかがえた。
<了>
■プロフィール
唐澤剣也(からさわ・けんや)
1994年7月3日、渋川市(旧小野上村)出身、前橋市在住。10歳の時に網膜剥離で失明。県立盲学校高等部専攻科理療科を卒業後、群馬県社会福祉事業団点字図書館にて勤務。2018年アジアパラ競技大会5000m金メダル、1500m銅メダルを獲得(T11クラス)。
※本文やプロフィールは2018年12月28日掲載当時のもの