高校編
前橋商業高校バレーボール部 #4
感謝の気持ちを胸に
夢への階段を駆け上がる
キャプテンがチームをまとめるのが仕事なら、部長は部活の代表として学校の集まりに参加したり、キャプテン不在のときは部長が代わりを務めたりする。この部長を務めたのが山根大幸(やまね・ひろゆき)。シンデレラストーリーを持つ選手だ。コロナ禍でバレーボールができることへのありがたさを身にしみて感じた山根は、今春、強豪大学へ進学する。
文・写真/EIKAN GUNMA
「ここ(前橋商業)に来ていなければ、あんな人生にはなっていなかったと思います。本当にシンデレラストーリーを持っていますよ」と小林潤監督が言うのは山根大幸のことだ。2019年12月に行われたU18/19(ユース)男子日本代表候補の選考合宿のメンバーに選ばれ、最終的にU19の選手選考には漏れてしまったものの日本高校選抜に選出。本来なら海外のチームと試合をするはずが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で試合がなくなり、「認定選手」という扱いになった。そして卒業後は、バレーボールの強豪校への進学が決まった。
山根の人生の歯車が回りだしたのが、2019年の夏頃からだ。
山根は、一般入試で前橋商業に入った。県内の強豪校と迷ったが、前橋商業に決めたのは、「中3のときに、春高予選を見に行って、前商のほうが、雰囲気が明るく楽しそうだったから」
子どもの頃から、水泳、野球、バスケットボールと、スポーツに親しんだ。子どもの頃から他の子よりも身長が高かったため、地元のミニバスのチームに所属したが、貧血を患い、治療のために一度はバスケットボールをやめなければならなかった。貧血の症状が改善したあとは、別のチームで再びバスケットボールに打ち込んだ。
そんな山根は中学ではバレーボール部に入った。その理由は、「友達とバレーをして遊んだときの楽しさが忘れられなかったから」。中3ごろからさらに身長が伸び始め、今では191㎝にまでなった。
全国大会出場の常連校になったチームに入ったものの、山根はなかなか試合に出るチャンスをつかめずにいた。本人も「前商に来て試合に出られるなんて思ってもいなかった」と語る。2年生のときのインターハイ予選(6月)にも山根は試合に出ていない。
チャンスをつかんだのが、11月から始まった春高予選。小林監督は、夏から急成長を見せていた山根を試合に使った。すると、「他の選手のポジションを動かすことができて、それがうまく機能して、春高予選に勝てたんです」と小林監督が言うように、チームは3年連続で全国大会への出場を決めた。
さらに、全国の高校バレーの有望選手が集まる第17回2020全日本ジュニアオールスタードリームマッチに出場し、その後は高校選抜にも選出された。2年の夏には試合さえ出られなかった選手が、いきなり日の丸を背負うまでになったのだ。
高校3年間を振り返り、「バレーボール部で過ごした日々に後悔はない」と言いつつ、心に引っかかっている試合がある。それが最終学年で迎えた昨年11月の春高予選の決勝戦だ。3セット目の終盤の競った場面で、スパイクを2本外してしまったことを後悔している。
「その日は結構、調子がよくて、スパイクの決定率もよかったんです。なのに、あの場面でミスしてしまった。あの2本が決まっていたら、試合に勝てていたかもしれない」
山根が悔やむのは、3セット目でエースの滝本陸が退場する前後のシーン。そのうちの1本は、滝本が足がつってその場に転んだとき、審判がプレーを止めようか迷っていた中で、山根が打ったスパイクがアウトになったもの。
小林監督は、「もしプレーが止まっていたら…、もしスパイクが決まっていれば…、という思いが山根にはあるんでしょうね」と言い、そしてこう付け加えた。「皆、どこかのタイミングでそういう思いがあるわけですから、誰が悪いというのはないんですよ。それが試合ですから」
今春、大学へ進む山根は、自らの成長を楽しみにしている。
「トレーニングを重視している大学なので、入部したら体づくりをしたいと思っています。今は、ブロックのときの横移動が遅いんです。まだ筋肉が足りないので、体づくりをして速く動けるようになったら、プレーの幅は広がると思います」
高校で夢への扉を開けた山根の将来の目標は実業団でプレーすること。
コロナ禍で、例年のように練習ができず、体育館が休館になったときは、近くの公園に園芸ネットを張ったコートを作り、仲間と練習に励むという通常では起こり得ないような経験が、山根を人間的に成長させてもいた。
「コロナ禍で、バレーボールができることへの感謝の気持ちを学びました。これは次のステップに生かせると思います」
山根のシンデレラストーリーは第2幕へと続く。