「まったく納得のいかないシーズン」だった。五十嵐が語るB1昇格1年目のサンダーズに必要だったものとは――。

群馬クレインサンダーズ

五十嵐 圭

今年5月に42歳になり、バスケットボールIQの高さで、今シーズンも活躍を見せた五十嵐圭選手。Bリーグ最年長選手であり、サンダーズを含めこれまで5チームでプレーした彼の目に、B1リーグ1年目のサンダーズの状況はどう映っていたのだろうか。サンダーズが強豪チームになるために求められることとは――。
取材/星野志保   取材日/2022年5月20日

2021年7月1日に東京・銀座で入団会見を行った五十嵐圭。右は中央大学時代の後輩・吉田真太郎ゼネラルマネジャー

――昨年12月に取材をしたとき、「今までのキャリアの中で、一番自分らしさを出せていない。思い描いたものと違った」と話していました。シーズンを終えて、サンダーズでどうプレーすればいいのかという答えは見つかりましたか。

五十嵐 いまだに見つかっていません。ただ、今年になってから「今のチーム状況の中で、求められているものを最大限にやろう」と気持ちを切り替え、自分のタイミングでシュートを狙うようになってから、少しずつシュートのパーセンテージも上がってきました。

――気持ちを切り替えられたきっかけは何だったのですか。

五十嵐 シーズン前半は、シュートの確率があまりよくなかったんです。1月26日(水)にホームで開催された茨城ロボッツ戦で、久しぶりに2ケタ得点(17得点)に乗せてシュートの確率が上がったのがきっかけになったかもしれません。

――このチームで五十嵐選手が求められていたものとは?

五十嵐 (トーマス・ウィスマン)ヘッドコーチ(HC)には、シーズン当初からゲームメイクというより得点の部分を求められていました。僕としては得点を取りに行くことはもちろんですが、他に得点力のある選手がいるので、どちらかというとゲームメイクに重きを置きたかったんです。けれど、そういう状況でもなく、「求められてもいないな」というのも分かったので、葛藤しながら自分なりに理解するようにしていました。そして、リーグ後半戦に入ってからは、自分のタイミングであればどんどんシュートを狙っていこうと気持ちを切り替えました。

正月に開催された宇都宮戦で、3000人を超える観客の前で司令塔としての存在感を見せつけた(2022年1月1日、ALSOK
ぐんまアリーナ)

――ゲームメイクを求められていないと悟ったのは、いつぐらいだったのですか。

五十嵐 割と早かったですね。プレシーズンゲームと、宇都宮ブレックスとの開幕戦2試合共にオーバータイムに入ってからの部分で、「こういう形でゲームメイクをしていけば、自分たちのスタイルを確立していけるかな」と手ごたえを感じていたんです。「ゲームメイクを求められていない」と悟ったのは、第2節の千葉ジェッツ戦からですね。千葉の1戦目は、こちらの得意なオフェンスを押さえられてしまい74-103で大敗。翌日の2戦目は、こちらが大差をつけてリードしていたにもかかわらず、後半の勝負所で逆転されてしまいました。僕の中では、この千葉戦からチームのスタイルが崩れていったと思っています。

――そういうことがあって、「思い描いていたものと違った」という発言だったのですね。

五十嵐 自分としては移籍をするにあたって、今までの経験やPG(ポイントガード/司令塔)としての役割、プレーでチームを引っ張ることはもちろんですけど、ゲームメイクの部分をこのチームに還元したいと考えていたんです。けれど、そこをチームからは求められていないと感じたので、シーズン通して対応していくのは難しかったですね。

――そんな中でも、五十嵐選手の状況判断の速さを生かしたチームメイトとの合わせのプレーは見事でした。

五十嵐 試合を重ねていくごとに、「この選手はこういうプレーが得意なんだな」と見えてきました。逆に、彼らが僕を生かそうとしてゲームを作ってくれた部分もありました。外国籍選手を生かすようにとプレーしていましたが、自分自身、まだまだやれることはたくさんあったと思います。自分のアシスト数(平均2.7)も今年は少なかったですし、自分から仕掛けてオフェンスの起点になることがほとんどありませんでした。サンダーズに来る前に新潟で5シーズンにわたりプレーしてきましたが、たとえアシストがつかなくても、自分が起点になることでノーマークができたり、そこからの展開でいいオフェンスにつなげたりすることもできました。サンダーズでもそれをやれれば、さらにチームはいい方向に行くんじゃないかと思っていたのですが、そういったプレーを求められていませんでした。自分自身、「コートの中でどうプレーしたらいいのか」と、難しさを感じながらプレーしたシーズンになりました。

――五十嵐選手がそう感じたのは、「サンダーズはこういうバスケットボールをする」というスタイルが確立できていなかったからなのでしょうか。

五十嵐 そこが大きいと思います。得点を取れていてもそれ以上に失点してしまうし、得点が取れなかったときもそれ以上に失点してしまう。オフェンスもディフェンスも自分たちのベースになるものが少し弱かったのかなと思います。

――そのことについて、大学の後輩である吉田真太郎GMと話をしたことはあったのですか。

五十嵐 シーズン中に何回か、僕から話をしに行ったことはあります。ただ現場を率いているのはHCなので、そことのコミュニケーションを僕も取れていないところがありました。自分自身にも原因はあると思いますが、僕だけがコミュニケーションを取れなかったわけではありません。こういうことが今シーズンのチームを象徴していると思いますし、チームとして戦えていませんでした。選手の調子がよければ勝つし、調子が悪ければ負ける。シュートが入れば勝つし、入らなければ負ける。それは上位、下位チームに関係なく、上位チームに勝てる力はあったとしても、自分たちのスタイルがなければ下位チームにも勝つことが難しいというシーズンになったと思います。

1月2日の宇都宮戦第2戦目では、気迫あふれるプレーで接戦に持ち込んだ(ALSOKぐんまアリーナ)

――シーズン最初の頃はサンダーズに馴染むのに大変そうでしたが、シーズンが進むにつれて、コート上で生き生きとプレーしていたように思いました。バスケットボールの楽しさは感じられましたか。

五十嵐 正直、楽しそうにプレーしている姿は、今シーズンは1試合もなかったです。楽しくなかったですし、楽しめていなかったです。結果を見ても、B2からB1に昇格して、昇格初年度の最多勝利数を(信州の持つ20から25に)塗り替えましたが、僕としてはまったく物足りなかった。なぜなら、ほとんどの選手がB1を経験していて、僕も含めて主力選手が移籍してきた中で、チャンピオンシップに進出するという目標を掲げていたのに、その目標に到達できなかった。それは、自分たちの責任でもありますし、チーム全体の責任だとも思っています。また、自分のキャリアの中で、これだけうまくいかないというか、モヤモヤした気落ちで過ごしたシーズンは初めてでしたし、けが(右足関節内外側靭帯損傷で約1カ月間戦線離脱)をしたシーズンも久しぶりでした。移籍を何回も経験していますが、今回に関しては非常に厳しいシーズンになったなと思います。

――来シーズン、サンダーズがチャンピオンシップに行くために必要なことは何だと思いますか。

五十嵐 やっぱり、チームのスタイルを確立することですね。自分たちがどういうチームなのかを、まずは選手一人ひとりが理解すること。その中で、ゲームに出ていくときに何を求められて自分たちはゲームに出ているのかを、現場のスタッフとしっかり共有すること。GMや会社の人たちを含めて、同じ目標を共有できなければ、チャンピオンシップという目標に到達することは難しい。僕は、これまでいろんなチームでプレーしてきましたが、同じ目標が共有できているときのチームは雰囲気がよくて、チームの皆が自分たちの役割を理解しているときは結果にもつながっていました。サンダーズは今シーズンがB1初年度でしたが、それができなかったシーズンになってしまいました。本来ならば基盤を作って、2年目、3年目とスタイルをプラスしていくのが理想でした。

――この経験は、サンダーズにとって来シーズンに生かさなければいけないですね。

五十嵐 絶対に、生かさなければいけない。

今シーズン、プロバスケットボール選手のプライドを見せてくれた五十嵐(2022年1月2日宇都宮戦、ALSOKぐんまアリーナ)

――苦しいシーズンでしたが、シーズンの終盤は五十嵐選手のパフォーマンスもよくなり、シーズンがもう少し長ければもっと結果を出せたんじゃないかとの期待が持てました。

五十嵐 自分としては、プレータイムがあれば数字的なものはある程度ついてくると思っていました。シーズンの前半は、シュートタッチがよくないのは理解していたので、そこを調整したことで少しずつ数字も上がってきました。ただ、ここ数年、数字的にも下がっています。シュートを打つ本数もそうですし、ファウルをもらって打つフリースローもそうですし、迷いがありながらのプレーがそのまま数字に表れていました。自分自身もアグレッシブじゃなかった。ある程度、プレータイムがもらえたときは、数字がついてきている試合も多かったので、そこは自分にとって自信になったところではあります。でもまったく納得のいかないシーズンでした。

――来シーズンは、納得がいかなかったシーズンの悔しさを晴らしたいですね。

五十嵐 僕自身、プロ選手としての意義は、「プロである以上はコートに立つこと。その中で結果を出すこと」だと思っています。いろんな考え方があると思いますが、ベンチにずっと座っているだけでは、僕はプロとは思いません。僕自身、引退するつもりはないですし、これからキャリアを積み重ねていく中で常にコートに立っていられるように準備をしていきたいと思っています。

<了>

■プロフィール
いがらし・けい

1980年5月7日生、新潟県上越市出身、直江津東中学~北陸高校~中央大学~日立サンロッカーズ(2003~09年)~ トヨタ自動車アルバルク(09~10年)~三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ(10~16年)~新潟アルビレックスBB(16~21年)。中央大時代にスピードを買われて頭角を現し、ヤングメン(U-21)世界選手権代表候補となる。2004年に初の日本代表入りし、06年に日本で開催された世界選手権に司令塔として出場。Bリーグ初年度に地元の新潟に移籍し、5シーズンを過ごした。2021-22シーズンに群馬クレインサンダーズに移籍し、シーズン終盤にはスタメンに定着した。今年42歳を迎えたBリーグ最年長選手。太田市に来て1年。新潟との違いを「雪の降らないところ」と語り、冬場の生活のしやすさを感じている。180㎝・70㎏、ポジションはポイントガード(PG)、背番号7